モーリス、
ゴールドアクター、
ウインマリリンの父として、今も血統表の中にさん然たる輝きを放つ
スクリーンヒーロー。母の母は重賞を5勝した、80年代の名牝
ダイナアクトレス。日本競馬を代表する血族の出身だ。
この馬で08年
ジャパンCを制したのは
鹿戸雄一調教師。だが、同師は「この馬が大成したのは矢野進先生が大事に使ってくださったおかげ」と語ったことがある。それは、こういうことだ。
ダイナアクトレス、そして重賞2勝を含む7勝を挙げたその
母モデルスポートを管理し、社台
ファームの信頼厚かった矢野進師。
ダイナアクトレスの孫である
スクリーンヒーローが預けられたのも矢野進厩舎だった。
入厩当初から高い素質を感じた矢野進師。だが、馬体はまだまだ未完成だった。ダートでデビュー。3歳春から芝を使い始め、秋には
セントライト記念3着。
菊花賞への優先出走権を手にした。
ここで
スクリーンヒーローは一つの岐路に立った。左前脚膝の剥離骨折が判明したのだ。ただ、上手に調整すればレースに使えないこともない程度。悩ましいところだ。
厩舎スタッフの中には
菊花賞へ行くことを主張した者もいた。定年間近の矢野進師にとって、ここが最後のクラシックであるからだ。しかし、師はミーティングでこう話した。「菊は断念する。私は定年になるが、この馬には将来がある。無理しなければ、この馬は必ず大成する。そういう血統なんだ」。
スクリーンヒーローは長期休養に入った。矢野進師は翌年、定年引退を迎え、トレセンを去った。
新たに
スクリーンヒーローを管理することになったのは鹿戸師だった。同馬がこれまでどんな競走馬人生を歩んできたか、すぐに把握した。厩務員もセットで矢野進厩舎から転じたからだ。これは矢野進師が定年間際に各所に手を尽くして、実現したことだった。馬と人の相性を大事にしていたことがよく分かる。
鹿戸師の元で大器晩成の花が咲く。骨折明けを1、2、2着。格上挑戦で迎えた
アルゼンチン共和国杯を3番人気で快勝した。矢野進師の弟子である
蛯名正義騎手の手綱だった。
迎えた
ジャパンC。さすがに18頭立てで9番人気と伏兵視された。8枠16番から5番手の外で流れに乗った。
ウオッカ、
ディープスカイ、
メイショウサムソンと脂ののった強豪がそろう中、最も手応え良く4角を回ったのは
スクリーンヒーローだった。
ミルコ・デムーロが独特の前傾姿勢で強豪を捉えにかかった。
外からジワジワと伸びる。
マツリダゴッホを捉え、ついに残り100メートルで先頭だ。
ディープスカイを半馬身、抑え込んでゴールを駆け抜けると、ミルコの右腕が上がった。
矢野進、
鹿戸雄一という2人の調教師の手によって素質が花開いた
スクリーンヒーロー。2人の元で
スクリーンヒーローを担当し続けた寺本秀雄厩務員は、こう振り返った。「
菊花賞を無理に使わなかったから
ジャパンCを勝てたんだろうな。矢野先生の馬を見る目は凄かったということだ」。
スポニチ