93年に19回目の挑戦にして悲願のダービージョッキーとなった柴田政人元騎手が、レース後のインタビューで「世界中の競馬関係者に第60回ダービーを勝った柴田です、と声を大にして言いたい」と話したのは有名な話だが、先日4500勝を挙げた名手・
武豊騎手も
スペシャルウィークで初ダービーを勝つまで10年かかった。ダービー3勝している福永調教師でも初めて勝つまで23年を要したし、騎手時代2541勝を誇る
蛯名正義調教師は2、3着がそれぞれ2度あるものの、ついぞ勝てなかった。ダービージョッキーの称号というのはそれほどまでに重いものなのだ。
5月5日の新潟8Rを
ハワイアンタイムで制し、歴代単独2位となる
JRA通算2944勝を挙げた「東のレジェンド」
横山典弘騎手も例外ではない。
日本ダービー制覇は意外に遅くてデビュー24年目、実に15回目の挑戦となった09年の
ロジユニヴァースだった。
横山典弘騎手のダービー初挑戦はデビュー4年目の89年。所属する石栗龍雄厩舎の管理馬、かつ自らが騎乗してNHK杯(5着)で優先出走権を獲得した
ロードリーナイトで参戦、21番人気の人気薄だったが6着に健闘した。そして翌90年、22歳で
ビッグチャンスが訪れる。パートナーは伯父の奥平真治調教師が管理する
メジロライアンである。
オーナーブリーダーであるメジロ牧場の所有馬。父は
アンバーシャダイ。半姉に重賞2勝の
メジロフルマーがいる血統馬だった。3戦目から
横山典弘騎手が騎乗し、4戦目の未勝利で初勝利を挙げた。続く
葉牡丹賞(4着)は安田富雄騎手に手綱を譲ったが、続く
ひいらぎ賞で再びコンビを組み、2勝目を手にする。その後は
ジュニアC、
弥生賞と3連勝。
皐月賞は
ハクタイセイ、
アイネスフウジンに後れを取った3着だったが、堂々の1番人気で
日本ダービーに参戦した。レースは中団後ろで脚をためる形。3〜4角で外から差を詰めると、直線では馬場の中程から脚を伸ばす。しかし、マイペースで逃げた
アイネスフウジンには1馬身1/4届かず、無念の2着。メジロ牧場の悲願を叶えることはできなかった。
それから19年、ベテランジョッキーとなった
横山典弘騎手の前に現れたのが
ロジユニヴァースだった。新馬は
武豊騎手で勝利したが、2戦目からコンビを結成。
札幌2歳S、ラジオNIKKEI杯2歳S、
弥生賞と重賞を3連勝して、クラシックの主役に浮上した。しかし、単勝1.7倍の1番人気に推された
皐月賞では14着に大敗。陣営の、そしてファンの評価は揺るぎ、
日本ダービーは
皐月賞馬の
アンライバルドから離された2番人気での参戦となった。
もともと水分を含んだ馬場、しかも午後から雨が降ったことで、
日本ダービーでは40年ぶりとなる不良馬場となった一戦。最内枠から飛び出した
ロジユニヴァースと
横山典弘騎手は3番手でレースを進めた。
武豊騎手の
リーチザクラウンを前に見る形。
アンライバルドは後方からの競馬だった。勝負所の4角、逃げて失速した
ジョーカプチーノをかわして
リーチザクラウンが先頭に立つ。その直後、ラチ沿いから襲い掛かったのが
ロジユニヴァースだった。残り300mで先頭に立つと、後続を突き放す。道悪に苦しむ他馬を尻目に、終わってみれば4馬身差の圧勝。
皐月賞2桁着順の馬が
日本ダービーを制するのは86年の
ダイナガリバー以来23年ぶり。史上8頭目の記録は、24年目のベテランがダービージョッキーの称号を手にした瞬間でもあった。
その後、14年に
ワンアンドオンリーで2勝目を挙げた
横山典弘騎手。今年は
ダノンデサイルで27回目の参戦となる。10年ぶり、そして
武豊騎手の記録を塗り替える史上最年長勝利となるか。周囲の声に惑わされることなく、ひたむきに勝利を追い求める名手の手綱捌きに酔いしれたい。