追い切りにおける“併せ馬”の組み合わせ。これを決めるのは結構、難しい。
メインとなる馬(当該週や翌週のG1、重賞に出走する馬)の闘志をかき立てるだけの能力があること。誘導する役目があるなら、理想とするタイムで引っ張るスピードがあること。最後にかわされる予定なら、先着されても心が折れない気持ちの強さがあること…などだ。
だから、傑出した実力馬のスパーリングパートナーは力が求められる。有名なのは
シンボリ牧場における
シンボリルドルフと
シリウスシンボリの併せ馬。併せた相手が次々と自信を失っていく
シンボリルドルフは併せるパートナーがいなくなっていた。そこで実現したのが、この組み合わせ。
シリウスシンボリはこの併せ馬の後、ダービーを1番人気で快勝する。
話を戻そう。
サクラオリオンは
ディープインパクトの併せ馬の相手をよく務めていた。02年生まれの同期。馬房も隣同士だった。
ディープインパクトのダービー2週前追い切り。
サクラオリオンは
ディープインパクトの外に併せるという難しい役目を担った。
他馬との圧倒的な実力差から併せ馬では常に外を回っていた
ディープインパクトだが、実戦で外からかぶせられて我を失うことがあってはならない。そのためにも1度、内側で併せておく狙いがあったのだろう。
しかし、悲劇が起きた。併せ馬を終え、あっという間に息を整えた
ディープインパクト。一方、
サクラオリオンは負荷がかかりすぎたのか、止め際で歩様が乱れた。左前脚のつなぎを損傷し、ボルトを入れる手術を余儀なくされた。
週が明け、ダービーを1週間後に控えた月曜。
ディープインパクトの市川明彦厩務員は神妙な表情で語った。「
オリオンが走ったところをディープが走っていた可能性もあった。かわいそうなことをした。ディープがケガをする可能性を
オリオンが摘み取ってくれたのかもしれません」
そこからさらに1週間後、
ディープインパクトは無敗の2冠馬となって栗東の池江厩舎に凱旋した。
サクラオリオンの厩務員は我がことのように喜んでいた。口数の少ない温厚な方だったが、心の底から笑顔を浮かべていた。胸が痛くなった。
「
サクラオリオンに頑張ってほしい。応援しよう」。それが筆者と市川厩務員の心の合言葉となった。
サクラオリオンは戦線復帰に1年を要したが、無事にターフに戻ることができた。
500万突破に6戦を要したが、1000万、1600万を勝ち上がり、6歳夏にはオープン入り。
福島記念7着、
中日新聞杯10着、
白富士S6着と来て、オープン4戦目が09年
中京記念だった。
15番人気。記者が願ったのは初の重賞での掲示板(5着以内)だった。しかし、
サクラオリオンは人間の想像をはるかに超えてきた。
道中、7番手付近で流れに乗る。4角で前にいるのは1番人気の
ヤマニンキングリーだ。その
ヤマニンキングリーが残り100メートルで先頭に立つ。背後にいた
サクラオリオンが…何とかわした。
ディープインパクトのスパーリングパートナーが、ついにベルトを巻いた瞬間だった。
市川厩務員の喜びといったら、それは凄かった。自分の担当馬の優勝より、はるかに喜んでいた。「良かった、本当に良かった」。市川厩務員だけではない。厩舎スタッフ全員が心から喜んでいた。
サクラオリオンは同年の
函館記念も勝ち、
中京記念がフロックでなかったことを印象づけた。
1頭の馬が天下を獲るまでに、裏ではさまざまなことが起こる。それは仕方のないことだ。しかし、
サクラオリオンは悲劇の馬で終わるのではなく、自らの力で立ち上がり、重賞2勝馬へと飛躍してみせた。
サクラオリオンもまた、池江泰郎厩舎を代表する名馬だった。
スポニチ