ベテラン競馬ファンがこの記事を読むのであれば、ぜひ聞いてみたい。
サクラホクトオーと聞いて、どんな思いがよぎるだろうか。
筆者は「期待と挫折」だ。兄
サクラチヨノオーは(のちの)ダービー馬。
父トウショウボーイ譲りの、すらりとして垢抜けた馬体。デビューから圧勝続きの無傷3連勝でG1・朝日杯3歳Sを制覇。
最優秀3歳牡馬に輝いた。
馬名の由来は横綱・北勝海から。兄が千代の富士から命名されており、当時、隆盛を誇った九重部屋の二大横綱からその名をもらった。
何というか、あらゆる要素が完璧で、もはや
サクラホクトオーが負けるシーンは考えにくかった。このまま同期のラ
イバルを寄せ付けず3冠ロードを快走するのだと思っていた。
ところが、だ。3歳(当時4歳)初戦の
弥生賞で
サクラホクトオーは、あっさり大敗してしまう。不良馬場に苦しんで、負けも負けたり12着。勝った
レインボーアンバーから4秒4差もつけられていた。
続く
皐月賞も不良馬場。しかし、2歳時の3連勝ですっかり
サクラホクトオーにホレ込んでしまった(筆者を含めた)ファンは、再度、貴公子を信じてしまう。単勝3・0倍の1番人気。しかし…。全く見せ場なく19着に散った。この年は20頭立てで1頭が競走中止。要は最下位だった。
ダービーは待望の良馬場。だが、
サクラホクトオーの勝負勘はすっかり失われていた。勝った
ウィナーズサークルから1秒4差の9着に終わった。
2歳時にかけた魔法はもう解けていた。秋初戦の
セントライト記念は3番人気。「
ホクトオー?早熟でしょ。もう終わったよ」。後楽園のウインズで、耳に赤鉛筆を差したオジサンがそう言っていたことを思い出す。
だが、
サクラホクトオーを信じ続けていた人がいた。管理する境勝太郎調教師だった。「良馬場なら何とかなる。
ホクトオーが、これで終わるわけがない」
小島太騎手も最高の騎乗を見せた。逃げた
ボストンキコウシの背後から、岡部幸雄騎手の
スダビートが早めにかわしにかかる。その直後だ。
サクラホクトオーがうなりを上げて
スダビートに迫った。瞬時にかわす。1馬身差をつけてゴールに飛び込んだ。
「なっ。やっぱり積んでいるエンジンが違うんだよ」と笑みを浮かべた境勝師。小島太騎手も「やっぱり勝たなきゃいけないよなあ。ようやく、ずれていた歯車がかみ合った気がするよ」。そう言いながらも主戦に笑顔はなかった。“この程度で喜んではいられない。なんたってこの馬は
サクラホクトオーなんだから”。そう言いたげな表情だった。
続く
菊花賞は5着。直線で1頭だけ外へと派手にヨレていき、それでも猛烈に追い込んで、勝った
バンブービギンから0秒4差。筆者はラジオで聴いていたのだが、実況の勢いは2着あたりまで突っ込んできたかのような興奮ぶりだった。実況アナの気持ちはよく分かる。あの
サクラホクトオーがついに能力の片りんを見せたのだ。興奮がマイクに乗ってしまっても、何ら責められない。
菊花賞の後、境勝師は小島太騎手を激しく怒ったらしいが、多くのファンはその走りに満足したことだろう。悩める春を過ごした貴公子が、負けたとはいえ迫力ある走りを披露してくれた。それで十分だったのではないか。少なくとも筆者はそう思えた。
スポニチ