06年に
皐月賞、ダービーの2冠を達成した
メイショウサムソン(牡、
父オペラハウス)が26日朝、心不全のため死んだ。21歳だった。同日、引退馬協会が発表した。通算27戦9勝、うちG1・4勝。06年に
皐月賞、ダービーを優勝。翌07年に
天皇賞・春秋制覇を成し遂げた。08年には
凱旋門賞(10着)にも挑戦した。
叩き上げという表現がぴったりだった。栗東・瀬戸口厩舎に所属し、05年夏の小倉でデビュー。
石橋守(現調教師)が手綱を取り、3戦目に勝ち上がると続く
野路菊Sを制し、クラシック路線に乗った。翌年は
きさらぎ賞2着で始動し、
スプリングS、
皐月賞、ダービーと3連勝で世代の頂点へ。実に11戦目。レースを重ね、地力を強化した。
皐月賞はデビュー22年目、当時39歳の鞍上にとってもG1初制覇となった。
菊花賞は4着に敗れ、3冠制覇はならなかった。07年春に瀬戸口師の定年引退により高橋成忠厩舎に転厩し、
天皇賞・春で3度目のG1制覇。続く
宝塚記念が2着で秋以降は
武豊とのコンビで臨み、初戦の
天皇賞・秋をものにした。08年
有馬記念8着がラストランとなり、引退後は社台スタリオン
ステーション(北海道安平町)で種牡馬入り。14年から
イーストスタッド(浦河町)で供用された。産駒は
ルミナスウォリアーや
フロンテアクイーン、
デンコウアンジュ、
キンショーユキヒメが平地重賞ウイナーの仲間入り。21年のシーズンを最後に種牡馬を引退し、功労馬として引退馬協会が受け入れ、ひだか・ホース・フレンズ(日高町)でけい養されていた。
▼石橋師(元主戦騎手)思い出はたくさんあるけど、やっぱりダービーが一番。癖がなく、勝負強い存在でした。感謝の気持ちしかありません。ありがとうと伝えたいです。
スポニチ