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【追憶の朝日杯FS】92年エルウェーウィン 南井克巳が見せた最高の“代打騎乗”もその後は勝ち運なく

スポニチ
  • 2024年12月11日(水) 06時45分
 このことを記憶する競馬ファンはもうベテランの域だが、かつて「マル外」(海外で生産され日本に輸入された競走馬)が日本競馬を席巻した時代があった。今回紹介するエルウェーウィンは、その代表格である。

 父は当時、世界最高の種牡馬の1頭だったカーリアン。その父は伝説のスーパーホース・ニジンスキーだ。そんな血統の馬が輸入されていたのだから、当時の日本は景気が良かった。

 そんなエルウェーウィンは栗東・坪憲章厩舎に入厩し、新馬戦、京都3歳S(当時)を連勝した。世界トップクラスの血統馬らしからぬ…という表現が正確かどうかは分からないが、エルウェーウィンは接戦に持ち込んで勝つのが得意だった。

 新馬戦は鼻差の辛勝。京都3歳Sに至っては追い上げてきたマルカツオウジャと同着だった。それでも2戦2勝なら大したもの。堂々と朝日杯3歳S(当時)へと駒を進めた。

 ここで問題がひとつ生じた。2連勝の手綱を取った岸滋彦騎手(引退)が、3戦3勝のビワハヤヒデに騎乗して、同じく朝日杯3歳Sへと向かうこととなったのだ。

 白羽の矢が立ったのは“ファイター”の異名を取った南井克巳騎手(引退)だった。この時限りの代打で、次走は再び岸の手綱に戻る。そんな条件にも南井は快くOKを出し、エルウェーウィンにまたがった。

 迎えた朝日杯3歳S。12頭立てだったが、極論すればエルウェーウィンビワハヤヒデ、2頭のマッチレースだった。

 出遅れたエルウェーウィン。だが、すぐにスピードに乗り、ビワハヤヒデの直後につけた。向正面、南井の視線はビワハヤヒデだけに向いていた。

 4角手前、南井の芸術的な策が決まる。ビワハヤヒデの外に並んでいた馬がわずかに膨れて下がるところに、エルウェーウィンの馬体をねじ込んだ。4角でビワハヤヒデと半馬身差まで詰めた。

 こうなってしまえば勝負はエルウェーウィンのものだ。坂で加速し、残り100メートルでビワハヤヒデをかわす。だが、ビワハヤヒデもさすが。懸命に食らいついた。もつれるようにゴール。鼻差、エルウェーウィンが前にいた。持ち前の接戦での勝負強さがここでも発揮された。

 検量室前。ビワハヤヒデの岸は痛恨の表情で「負けたから相手が強いんですよ」とだけ報道陣に語って、足早に中山を後にした。浜田光正師(引退)は食い入るような表情でVTRを何度も確認し、「前に行った分かなあ。人気を背負っているから仕方ないんだけどね」と絞り出し、岸を責めなかった。

 勝った南井は喜びの表情かといえば、そうではなかった。「岸君に申し訳ないね」と語り、神妙な表情だ。それでも「勝負どころで手応えは十分。これならビワハヤヒデをあっさりかわせるかと思った。でも…向こうもやっぱり強いね。この馬、相当に勝負根性があるよ」と馬を称えた。

 この時は鼻差、明暗が分かれた2頭だが、その後の歩みは意外なものとなった。エルウェーウィンは脚部不安に陥り、復帰後も白星には恵まれず、何と27連敗を喫した。朝日杯3歳S以来の白星は6歳時のアルゼンチン共和国杯。鞍上はくしくも南井だった。

 ビワハヤヒデは、続く共同通信杯4歳S(当時)も2着に敗れると、鞍上を岡部幸雄騎手(引退)にスイッチして皐月賞、ダービーとも2着。秋に菊花賞を制して、ついにG1を手にした。古馬となってからもG1を2勝して引退した。

 ここ一番で限界を超えるがゆえに2歳時のエルウェーウィンは勝負強かったのだろうか。それが脚部不安を引き起こしたのだとすれば皮肉だと言わざるを得ない。今頃、天国で「あの時の競り合いは熱くなったねえ」などと2頭で笑い合ってくれていればいいな、と思う。

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