22日の
有馬記念で2着だった
シャフリヤール(牡6、栗東・
藤原英昭厩舎)の引退・種牡馬入りが発表された。同馬は22年の
ドバイSCにおいて、
日本ダービー馬として史上初の海外G1制覇を飾るなど、積極的に海外遠征を敢行。毎年のように海を渡る姿から、一部では“空飛ぶダービー馬”とも称された。そこで同馬が現役の間どのくらいの距離を移動したのか検証。なお、今回は海外遠征に関わる飛行機での移動距離を対象とし、トレセンと競馬場・牧場などの移動は考慮しないものとする。
新馬勝ちのあと、翌年に
毎日杯で重賞初制覇。続く
日本ダービーで世代の頂点に輝いた。秋は
神戸新聞杯、
ジャパンCと好走。4歳春には初めて海外に渡った。片道約8500kmの行程で、
ドバイSCにチャレンジ。前年の
BCターフ覇者ユビアーなど好メンバーが揃った一戦だったが、これらを破り、
日本ダービー馬として初めて海外G1を制すことになった。一旦は帰国したが、約3カ月後には
ロイヤルアスコット開催の
プリンスオブウェールズSに挑戦。1万km近い移動を乗り越え出走したが、ここでは4着に敗れた。
5歳時にも再び海外の大舞台を目指した。春初戦に選んだのは、連覇を狙った
ドバイSC。往復で1万7000kmにおよぶ長距離移動をこなしたが5着に終わる。帰国後は夏まで休み、
札幌記念に出走したが11着。レース後に喉の疾患がみつかり手術したが、幸いにも回復は順調で、予定通り
BCターフに駒を進めた。片道約9000kmの道のり。
オーギュストロダンとの日・愛ディープ産駒対決を実現させ、勝利はならなかったものの、3着と見せ場をつくった。その後は
香港ヴァーズ出走のため、シャティンまで1万1600kmを移動。だが、レース数日前に不整脈の疑いが出て回避し、帰国して臨んだ
有馬記念では5着だった。
現役最終年の今年も
ドバイSCから始動。3年連続の参戦とあって慣れたもの。前年は5着に終わったが、今回は日本馬最先着の2着と大きく着順を上げた。以降は前年とまったく同じローテで、
札幌記念から
BCターフに転戦。23年はサンタ
アニタ、24年は
デルマーでの開催となったが、同じく
ロサンゼルス国際空港を経由するルートとなった。結果は
レベルスロマンスの3着。6歳秋を迎えても変わらず、海外の大舞台で存在感を示した。その後は帰国し、万全のローテで臨んだ
有馬記念では大外16番枠からハナ差の2着に健闘した。
キャリア6度の海外遠征。空飛ぶダービー馬にふさわしく、飛行機による総移動距離は概算で11万1490kmに達した。これは地球約3周分にもなる。中には輸送で体調を崩す馬もいるが、何度も長距離移動をこなし、結果を残してきた
シャフリヤール。実にタフな馬だった。
【
シャフリヤール 空路の移動距離】※直線距離、概算
■22年ドバイ遠征
関西国際空港→成田国際空港→ドバイ 8,490km
ドバイ→成田国際空港→関西国際空港 8,490km
■22年英国遠征
関西国際空港→フランクフルト空港 9,250km
フランクフルト空港→ロンドンスタンステッド空港 620km
ロンドンスタンステッド空港→フランクフルト空港 620km
フランクフルト空港→関西国際空港 9,250km
■23年ドバイ遠征
関西国際空港→成田国際空港→ドバイ 8,490km
ドバイ→成田国際空港→関西国際空港 8,490km
■23年米国遠征〜香港遠征
成田国際空港→
ロサンゼルス国際空港 8,750km
ロサンゼルス国際空港→香港国際空港 11,600km
香港国際空港→成田国際空港 2,960km
■24年ドバイ遠征
関西国際空港→成田国際空港→ドバイ 8,490km
ドバイ→成田国際空港→関西国際空港 8,490km
■24年米国遠征
成田国際空港→
ロサンゼルス国際空港 8,750km
ロサンゼルス国際空港→成田国際空港 8,750km
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シャフリヤール&
グレナディアガーズの英国遠征に密着した貴重映像はこちら
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