第二次競馬ブームを巻き起こした
オグリキャップ。第一次競馬ブームの立役者となった
ハイセイコーと同じ
地方競馬出身という出自も相まって、当時は大きな社会現象となった。激走続きで燃え尽きたと思われた
オグリキャップが見せた奇跡のラストランを『競馬 伝説の名勝負 1990~1994』(星海社)よりお届けする――。
2001年のブ
リーダーズCではティズナウが前年に続く連覇を飾って9.11同時多発テロに悲しむアメリカ国内に大きな感動をもたらし、11年には
ヴィクトワールピサが日本馬として初めて
ドバイWCを制して東日本大震災の傷が癒えぬ日本に勇気を与えた。競馬には、人の心を動かす大きな力があると思う。
私には自分を奮い立たせたい時に、決まって見返すレースがある。そのレースはいつ何度見ても、身体の奥底から色鮮やかな感情が湧き出て鳥肌が立ち、活力が溢れてくる。
1990年第35回
有馬記念。言わずと知れたあの
オグリキャップの引退レースである。
88年に
地方競馬から
中央競馬に移籍し、数々のタイトルを積み上げてきた
オグリキャップだったが、90年秋に
天皇賞・秋で初めて掲示板外となる6着に敗れると、
ジャパンCでは2ケタ着順に沈んでいた。
それまで彼を持ち上げていたマスコミが一転して、批判的な内容に変わっていった。「有馬オグリ出るの!?」「オグリだめか」などといった見出しが連日のようにスポーツ紙の見出しを占領すると、あれだけ熱狂的だった世間の風向きも悲観的なものに変わり、ついには馬主のもとに
オグリキャップの引退を迫る脅迫文が送り付けられる始末だった。
――
オグリキャップは終わった。
そんな空気感が日本に蔓延していたと言える。
そして迎えた
有馬記念。
オグリキャップが支持された4番人気5.5倍というオッズの中に、その勝利を確信していた投票がどれだけ含まれていただろうか。
多くの人の手に一時代を築き上げた日本競馬界きっての
アイドルホースへの“惜別の記念馬券"が握り締められていたことはほぼ間違いなく、純粋な4番人気でないことはその場にいた誰もがわかっていた。
レース直前のゲート裏、最後の手綱を託された
武豊は少し気の抜けた様子だった
オグリキャップの首筋を叩き、「おい、お前
オグリキャップやからな」と声をかけたという。すると
オグリキャップは全盛期と同じように武者震いをしてみせ、勝負のゲートに入っていった。
「
オグリキャップ引退レース。最後のレースです!」
その声とともに、スタートは切られた。中盤までは
オグリキャップの引退レースということ以外、何の変哲もない時間が過ぎていったが、2周目の3コーナー、残り800mを通過したところで実況がゆっくり言葉を紡ぎ始めた。
「澄み切った師走の空気を切り裂いて、最後の力比べが始まります」
そのセリフがまるでスイッチだったかのように、空気が一変する。
オグリキャップが自身の意思で動いているかのように、馬なりのまま馬群の外目をスーッと上がっていく。
直線に向いた時、目の前に広がるその光景に中山競馬場が揺れ始めた。終わったはずの馬が、
オグリキャップが先頭に立って後続各馬を引き連れた。
「ライアン!」
解説席の大川慶次郎氏が外から
メジロライアンが迫り来ることを知らせたが、もはやレースを見ていた誰の目にもその姿は見えていなかった。
武豊が左手の握り拳を突き上げた。
「オグリ1着! オグリ1着! オグリ1着! オグリ1着!」
実況がその場に起きた奇跡を繰り返し言葉にすると、中山競馬場に詰めかけた大観衆が沸点を迎え、膨張した。
目の前を駆け抜けたスターに最後の賛辞を送らんと、どこからともなく声が沸き、嗚咽が漏れ、拳が上がり、やがてそれは一つになって競馬場を包み込んだ。
オグリキャップは堂々としたキャンターでスタンド前まで戻り、約18万人のファンに自らの姿を目一杯見せつけた。そしてマスコミがカメラを構える前まで来て「さぁ、撮りたいだけ撮ったらどうだ」と言わんばかりに、澄ました顔して立ち止まってみせた。
その姿には自分が
オグリキャップであるという圧倒的な自信と、これまで自分が独り占めしてきた目の前の光景をじっくり噛みしめているような哀愁すら感じた。
敗れた馬の騎手たちが「オグリに勝たれたなら仕方がない」と口を揃えた。
大川慶次郎氏が「私なんかは、いの一番に謝らなければいけませんね」と口にした。
地方・
笠松競馬場でデビューしたその馬は、地味な血統ながら確かな実力で勝利を積み重ね、
中央競馬に殴り込んできた。中央のエリートたちを次々と打ち負かし、幾多のラ
イバルたちと激戦を繰り広げた。
挫折を味わうことも怪我をすることもあったが、その都度立ち上がってリベンジを果たす「雑草魂」に人々は熱狂した。
最後には負かした馬の騎手も、辛辣だった解説者も、冷たい言葉を浴びせた世間の心さえもその虜にして競馬場を去っていった。そして四半世紀以上がたった今もなお、彼の勇姿は人々の心を動かし続け、元気や勇気を与えているのである。
「競走馬
オグリキャップ」という一つの伝説は、いつまでも色褪せることはない。
(文=秀間翔哉)
今回は星海社のご厚意により、本書を5名の方にプレゼントいたします。
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