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天才が掴み取ったきっかけ 最強世代のダービー馬、誕生の瞬間

  • 2025年03月14日(金) 21時00分
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 これまで6度のダービー制覇を誇る武豊騎手も、初めてダービーを勝利するまでは苦難の連続だった。10度目の挑戦でようやく手にした「ダービージョッキー」の称号。名手を栄冠に導いたスペシャルウィーク日本ダービーを『競馬 伝説の名勝負 1995~1999』(星海社)で振り返る――。


 サッカー元日本代表の本田圭佑選手は、とある試合後インタビューで「ゴールはケチャップみたいなもの。出るときはドバドバ出る」と答えた。一方で競馬は、大きなトラブルや不幸が起きない限り、全ての馬がレースの度にゴールする。どう走っても、どんな着順でもゴール。シュートを打ち続ける必要はない。しかし、競馬にも「決定打」は存在する。それは勿論1着という結果ではあるのだが――その中でも特別な1勝がある。それが、ダービーでの勝利だ。ダービーを先頭でゴールした騎手は「ダービージョッキー」と称えられ、勝たなければ他でいくら優秀な戦績を残そうともその称号を得ることは叶わない。

 1998年当時、既に競馬界の「若きエース」として君臨していた武豊騎手は、圧倒的な実績を残しながらも、不思議とダービーで負け続けていた。90年ハクタイセイで5着、93年ナリタタイシンで3着、96年ダンスインザダークで2着。フジノマッケンオーランニングゲイルでも掲示板に食い込みながら、栄冠には届かない。ファンの間では「武豊はダービーを勝てない」という不名誉なジンクスも囁かれた。

 今になって考えると当時29歳だった若武者に対して、騎手人生のうちの最初の数年間敗れただけで、まるで「シュートを外し続けている」というような表現をするのも酷な話である。しかし、88年に史上最年少でクラシック制覇(菊花賞)をして以来、天皇賞の春秋制覇、93年クラシック三連勝(桜花賞皐月賞オークス)、JRA所属騎手として初の海外GI制覇など数々の記録を打ち立ててきたスターに対して、世間の期待値はあまりにも高かった。

 そして迎えた98年クラシック。当時のクラシック戦線は「三強」で盛り上がっていた。スペシャルウィークセイウンスカイキングヘイローの3頭である。その3頭は皐月賞の前哨戦・弥生賞で早くも激突すると、1着スペシャルウィーク、2着セイウンスカイ、3着キングヘイローの順で決着。武豊騎手の相棒は、その弥生賞の覇者スペシャルウィークであった。クラシック一冠目の皐月賞スペシャルウィーク は1.8倍の1番人気に推されたものの、結果は3着。横山典弘騎手セイウンスカイの積極策に敗れた形となった。しかし、迎えたダービーで、競馬ファンはスペシャルウィーク武豊騎手を再び1番人気に推した。

 それは期待か、信頼か、欲望か――さまざまなファンの思いが交錯する中、優駿18頭がダービーのゲートに入った。

 レースが始まると、デビュー3年目の福永祐一騎手とキングヘイローが飛び出す。彼らにとっては明らかなオーバーペースで、彼の若さが出た騎乗だった。それに連れられるように、セイウンスカイも好位につける。皐月賞を2番手から制した同コンビは、その再現をすべく2番手を追走した。武豊騎手スペシャルウィークは中団やや後方で待機。直線での勝負にかけた騎乗。府中の直線は長い。必ず届くという思いが伝わってくる。

 直線に入ると、早くもキングヘイローが沈み、セイウンスカイが先頭に立つ。しかしその後方からスペシャルウィークが強襲すると、並ぶ間もなく独走態勢となった。すでに直線半ばで、セーフティリードを保っていた。

 2番手に追い込んできたボールドエンペラーも、その末脚に全く追いつきそうにない。

 しかしそれでも、29歳の武豊騎手は追い続けた。広がるリードも気にせず、スペシャルウィークとともに、必死にゴールを目指したのである。ゴールまで確定することはない「ダービージョッキー」「ダービー馬」の称号のために。後方で2着争いが繰り広げられる中で、スペシャルウィークは5馬身差の勝利を収めた。圧勝、完勝だった。上がりは、2番手ボールドエンペラーの36秒1に対し、スペシャルウィークは35秒3。必要以上の末脚だったことは、着差やタイムから明らかである。あのクールな若者が最後まで追い続けた姿は、ダービーという決定打がいかに絶対的なものなのかを如実に物語っていた。何度も繰り返された力強いガッツポーズが、観衆の目に焼き付いた。

 その後、スペシャルウィークは引退までの間に7度GIに挑戦する。天皇賞の春秋制覇、ジャパンCでも勝利するなど世代を代表する活躍を見せた。しかし一方で、菊花賞ではセイウンスカイに、一度目のジャパンCではエルコンドルパサーに、宝塚記念有馬記念ではグラスワンダーに敗れた。上記3頭は、いずれも同期生だった。

 当時は外国産馬がダービーに出られない時代である。凱旋門賞で2着となったエルコンドルパサーも、グランプリ3勝馬グラスワンダーも、英仏GI馬アグネスワールドも快速馬マイネルラヴも、ダービーへの出走権を有していなかった。現行のルールであれば、上記の馬たちはダービーに出走可能であり、展開は変わっていただろう。また、今ではダービー3勝騎手である福永騎手が現在の冷静沈着さをもって騎乗していれば、キングヘイローが勝たずともレースの流れは違ったはずだ。運命が天才に微笑みかけたのかもしれない。

 武豊騎手は、それまでの鬱憤を晴らすかのように、それからダービーを連勝。さらにディープインパクトキズナで親子によるダービー制覇も達成した。今では日本競馬史上最多のダービー5勝を挙げた「ダービー男」となっている。前人未到の大記録だ。天才にとってこのゴールは、きっかけさえ掴めばドバドバと出るものだったのだろう。その決定的瞬間――まるでケチャップが出始めたかのような記念すべき一戦が、この98年日本ダービーである。

(文=緒方きしん)

今回は星海社のご厚意により、本書を5名の方にプレゼントいたします。
下記、応募フォームよりふるってご応募ください。
応募期間は2025年3月28日(金)23:59まで。皆様からのたくさんのご応募、お待ちしております。

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