◇さらば伯楽(1)
今年は東西トレセンで7人の調教師が70歳定年制により、3月4日をもって引退する。ホースマン人生を振り返る連載「さらば伯楽」が今週から水曜付でスタート(全5回)。第1回は栗東の
鮫島一歩師(70)に迫った。6人の調教師しか成し遂げていない
JRA全10場重賞制覇を達成。17年
エリザベス女王杯は
モズカッチャンで勝ち、G1制覇を飾った。
約半世紀にわたるホースマン人生は残りわずか。気さくな人柄で多くの人から愛された鮫島師は3月4日に定年引退を迎える。「終わりが近づき、あっという間だった気もする。ゴールが決められている中で、やり切ったよりも、もっと勝てた、勝ちたかった気持ちがある」と心境を明かした。
父は南日本新聞の記者で、競馬とは無縁の家庭で育った。鹿児島南高校ではサッカー部に入ったが、1年生の夏休みに馬術部が鹿児島国体の強化校として指定され、好奇心で入部。監督はのちに冠名「トシ」で知られた馬主・上村叶(かなえ)氏。厳しくも愛のある指導を受けた。青春時代を「馬漬けの日々。しごかれまくって、地獄のような3年間だった」と振り返るが、練習を耐え抜き、3年生の時にインターハイ団体で優勝。立派な実績を残した。
高校卒業後はブラジルで酪農をやる夢を抱き、北海道江別市の酪農学園大学に進学したが、「また馬に乗りたい」と再び馬術部に入部。偶然にも、そこで出会ったのが昨年、調教師を定年引退した飯田雄三氏で、79年4月から所属した増本豊厩舎ではともに汗を流した。「自分の師匠は(増本)豊先生だけ。馬の支軸や爪にこだわる方で、常に細かいところのチェックをされていた。いろいろ勉強になったし厩舎の雰囲気も凄く良かった」。同厩舎で約20年、基礎を叩き込まれた。
38歳から調教師免許試験を受験し、7回目で合格。00年に厩舎を開業した。最初は不安だらけだったがスタッフに恵まれ、師匠から学んだ楽しい厩舎づくりに励んだ。管理した
シルクフェイマスは04年
日経新春杯、
京都記念、06年AJC杯と重賞3勝。04年
宝塚記念2着などG1の大舞台でも好走した。「最初に厩舎を盛り上げてくれた。猛獣みたいな馬で自分の車を蹴り飛ばされたことがある」と衝撃のエピソードを明かしつつ「もう少し運があればな。G1を獲れなかったのが悔しい」と残念がった。
開業18年目に悲願のG1初制覇。
モズカッチャンが17年
エリザベス女王杯を制した。「扱いやすい子でした。早い時期に屈腱炎になったのが悔しい」。5歳時だった19年春に右前浅屈腱炎を発症して繁殖入り。「同世代(
ディアドラ、
リスグラシュー)が海外で活躍している姿を見て、うちの馬も負けていないという思いだった」と振り返った。
16年には
JRA全10場重賞制覇の偉業も達成。「僕の人生は馬に引っ張られ、馬に流されてきた」。長年、ホースマンを続けられた一番の理由は大好きな馬がそばにいたから。「おおっぴらにとは思わないけど(定年後も)何らかの形で馬に携わっていきたい」。感謝の気持ちを持って、残り少ない日々を過ごす。
◇鮫島 一歩(さめしま・いっぽ)1954年(昭29)4月12日生まれ、鹿児島県出身の70歳。79年4月から栗東・増本豊厩舎に所属し、00年に厩舎を開業。04年
日経新春杯(
シルクフェイマス)で重賞初制覇、16年
福島牝馬S(
マコトブリジャール)で
JRA全10場重賞制覇を達成。管理した全ての馬に思い入れがある。師は「未勝利馬でもお守りやファンレターが届く。ファンの方々には感謝の気持ちでいっぱい」。
スポニチ