JRAで短期免許制度が始まったのは1994年のこと。以来、多くの腕利きが海の向こうから来日し、日本競馬を盛り上げてきた。中でもフランスのオリビエ・ペリエ騎手は、
シンボリクリスエスとの
有馬記念連覇、
ゼンノロブロイの秋古馬三冠などで、印象に残っているファンも多いことだろう。そんな同騎手が日本で初めてGIタイトルを手にしたのは、00年のフェブラリーSだった。
騎乗したのは
ウイングアロー。現3歳時に
名古屋優駿、
グランシャリオC、
ユニコーンS、
スーパーダートダービーと重賞4連勝を飾っていたが、ダービー
グランプリは2着、4歳時の
南部杯は2着とGI級タイトルにはあと一歩届かず。常に善戦する馬ではあったが、追い込み一手の脚質もあってか、勝ち味に遅い面があった。
迎えた00年のフェブラリーSには、前年覇者
メイセイオペラをはじめ、重賞2勝の
ゴールドティアラなどが出走。さらには
キングヘイロー、
シンボリインディといった芝の実績馬も集い、1番人気5.1倍のオッズが示すように大混戦模様だった。そのレースで
ウイングアローが見せたのは驚異の末脚。大井の
オリオンザサンクスが刻む
ハイラップで先行馬が総崩れとなる中、4角16番手の本来なら絶望的ともいえる位置から、直線だけで全馬ごぼう抜きの離れ業を見せたのだ。
ペリエ騎手は馬上で立ち上がるように渾身の
ガッツポーズ。これが
JRA・GI初制覇となった。94年のヤングジョッキーズ
ワールドチャンピオンシップで初来日し、95年の
金杯(西)で
JRA重賞初制覇。以降も
エアグルーヴや
ビワハイジ、
スペシャルウィークなどとのタッグでGII、GIIIで計13個のタイトルを手にしていたが、GIでは3着4回と一歩届いておらず。10回目のGIチャレンジでついに頂点に立った。
さらに翌年のフェブラリーSでは
ノボトゥルーで連覇したほか、同年には
マイルCS、
ジャパンC、阪神JFと年間にGI・4勝の大活躍。02年に
シンボリクリスエス、04年には
ゼンノロブロイと出合うなど、90年代後半~00年代前半にかけて日本競馬を沸かせ、ファンや関係者に強烈なインパクトを残した。
そんな名手は12年の
ジャパンCデーが最後の来日となり、昨年4月に惜しまれつつも現役生活に別れを告げている。