「
チューリップ賞・G2」(3月2日、阪神)
騎手として29年、調教師として20年。日本を代表するホースマンとして輝きを放った河内洋調教師(70)=栗東=が、3月4日をもってターフに別れを告げる。ラスト重賞は弟弟子・
武豊(55)=栗東・フリー=を鞍上に指名し、
ウォーターガーベラで
桜花賞トライアルに挑む。騎手時代にはともに刺激を与えながら、切磋琢磨(せっさたくま)を繰り返してきた2人。固い絆で結ばれたタッグで、指揮官の花道を飾る。
常に馬とともに歩んできた人生だった。3月4日の定年引退を前に、河内師は「決まっていることだからね」と、いつもと変わらず泰然自若の構え。それでも「寂しいところもあるけど言いだしたらキリがないからね。ただ、ずっと馬と一緒にいたから。そういう意味では寂しさもある」と切なげな表情を浮かべた。
かつての大阪・長居競馬場で調教師をしていた父・信治氏の下に生まれ、幼少期から常に馬に囲まれる日々。自然と騎手という道を志すようになった。1974年にデビューを果たすと、6年目の79年には
アグネスレディーで
オークス制覇。すると、翌年には自身初の全国リーディングを獲得し、着実に一流ジョッキーへの階段を上っていった。
騎手時代の指揮官を語る上で切っても切り離せないのが、同じ武田作十郎厩舎の所属で、兄弟弟子としてしのぎを削った
武豊の存在だ。なかでも2人の名勝負として印象深いのは、
アグネスフライトとのコンビで挑んだ指揮官にとって17度目の00年ダービーだ。
皐月賞馬
エアシャカールを駆る
武豊が先に抜け出すも、全身全霊の騎乗でゴール寸前の差し切り劇。わずか鼻差で夢をつかみ取った。「若い騎手が増えていくなか、最後のチャンスだと思った。騎手人生のなかで勝てたのは大きいね。本当にうれしかった」と弟弟子との激闘をしみじみと振り返った。
調教師に転身後は、タッグを組んでともに一つの勝利を目指す関係性に。「
ヤマニンキングリーは印象に残っているね。ダート初挑戦だった
シリウスS(11年)でしっかり勝ち切ってくれた」と懐かしむトレーナー。10年以上が経過しても色あせることなく、一瞬一瞬が心に刻み込まれているようだ。
武豊とのコンビで挑む最後の一戦は、
ウォーターガーベラの
チューリップ賞。「豊は予定を合わせてくれたのかな(笑)」とおどけながらも、「落ち着いて臨めればもっとやれる馬」と力を込める。調教師としてこだわってきたのは「馬に寄り添って、状態をしっかり確かめること」。馬に愛情を注いできた約半世紀。最後の日まで、ホースマン・河内洋を全うする。
提供:デイリースポーツ