上半期の短距離王者決定戦、ならびに春のGI開幕戦として定着している
高松宮記念(4歳上・GI・芝1200m)。同レースは97年まで高松宮杯として行われ、95年までは夏の中京開催を飾る芝2000mの名物重賞だった。そんな中距離時代の勝ち馬を見てみると、ビッグネームがズラリと並ぶ。最後の“芝2000mの高松宮杯”から今年で30年。節目を前に歴史を振り返ってみよう。
JRAのホームページによると、
高松宮記念は1967年に創設された中京大賞典を前身とする。その後、71年に高松宮殿下から優勝杯を賜ったのを機に「高松宮杯」へ改称。第4回の74年を勝利したのは、“元祖
アイドルホース”の
ハイセイコーだった。中央移籍2年目のことで、
宝塚記念から中2週での参戦ながら勝利。名古屋の競馬ファンにも雄姿を見せた。
77年には“天馬”と称され、
テンポイントや
グリーングラスと「TTG時代」を築いた
トウショウボーイが勝利した。また、81年の
ハギノトップレディ、83年の
ハギノカムイオーは、75年覇者イットーとの母仔制覇を達成。80年代後半~90年代に入っても名馬が並び、88年には
オグリキャップが中央重賞5連勝目。90年には
バンブーメモリー、91年には
ダイタクヘリオスと、名快速馬2頭も白星を飾っている。
競走体系の整備がさらに進んだ90年代。
有馬記念3年連続3着の珍記録などで人気を集めた
ナイスネイチャも94年に勝利した。距離短縮になる直前の95年には、個性派で知られた
マチカネタンホイザが快勝。前年秋に
ジャパンCを競走除外、
有馬記念を出走取消となり、約9カ月ぶりの実戦で、ひさびさの勝ち名乗りを上げたのだった。
96年に距離短縮となり、上半期のス
プリント王者決定戦にレースの役割は変わった。その後、98年に現在のレース名「
高松宮記念」に改称。今後も春の中京開催を彩るビッグレースとして、名勝負の舞台となっていくことだろう。