東京都港区の
地方競馬全国協会本部で31日、同日をもって引退する
的場文男騎手の免許返納式が行われた。式の中では3月19日~25日まで特設ページで募集していた「的場騎手ベストレースファン投票」の結果も発表。1位に選ばれた07年
帝王賞は会場に映像が映し出され、的場騎手が自身の騎乗を解説した。
同レースでは大井から
JRAに移籍した
ボンネビルレコードとタッグ。15頭立て14番枠からのスタートだったが、1コーナー手前で内ラチに潜り込む好騎乗を見せた。「あまり外は回したくなくて、ちょうど内ラチ沿いが空いたので入っていった。
武豊騎手が乗る
シーキングザダイヤも強いですから、この馬の後ろに付けられたことが勝因。4コーナーまではこの馬に付いていけば間違いないと思った」と的場騎手。内の6番手でじっくりと脚を溜めて運んだ。
直線は他馬の影響で狭くなる場面もあったが、わずかに確保した進路をさばき、先に抜け出した
ブルーコンコルドを鋭く差し切り戴冠。「内田騎手の馬(
トーセンジョウオー)がバテてきてちょっと詰まったけど、ギリギリのところが1頭分空いて、あとは
ブルーコンコルドをかわせば勝てるなって感じだった。
ボンネビルレコードもよく伸びてくれたし、感謝しています」と振り返った。
的場騎手にとっては大怪我から復帰して、最初の重賞制覇でもあった。07年2月に浦和競馬のパドックで騎乗馬に蹴られ、脾臓と腎臓が損傷する重症。自身も「一番大きい怪我でした」と話す。「腹に血が2000cc溜まると命が危ないといわれる中、2200ccも溜まっていた。たまたま日本で有名なカテーテルの先生がその病院にいて、緊急手術の末に助かった。その先生がおらず、手術がもう2、3時間遅れていたら、助かっていなかったかも」。そんな生死に関わる大怪我を乗り越え、不死鳥のごとく手にした
ビッグタイトルだった。
その後も
ボンネビルレコードは的場騎手とのコンビで大活躍。08年の
かしわ記念では再びJpnIタイトルを手にした。同年秋の
日本テレビ盃では1分47秒8で駆け抜け、ダ1800mの日本レコード(当時)をマーク。通算74戦中59戦で手綱を執った主戦は、「ボンネには感謝していますね。色々と思い出があって」と懐かしんだ。同馬は
大井競馬場の誘導馬を引退し、現在は北海道の加藤ステーブルで余生を過ごす。的場騎手は「機会があれば、ぜひ会ってみたいですね」と笑顔を見せた。
【的場騎手ベストレースファン投票の結果】
■1位 252票
07年6月27日
帝王賞 ボンネビルレコード■2位 177票
97年6月24日
帝王賞 コンサートボーイ■3位 79票
93年4月12日
帝王賞 ハシルショウグン■4位 38票
18年8月12日 大井5R
シルヴェーヌ※地方歴代最多記録を更新する通算7152勝目
■5位 18票
86年12月23日
東京大賞典 カウンテスアップ※総票数672票