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的場文男騎手が“相棒”ボンネビルレコードを振り返る 「的場騎手ベストレースファン投票」の結果発表

  • 2025年04月01日(火) 12時00分
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 東京都港区の地方競馬全国協会本部で31日、同日をもって引退する的場文男騎手の免許返納式が行われた。式の中では3月19日~25日まで特設ページで募集していた「的場騎手ベストレースファン投票」の結果も発表。1位に選ばれた07年帝王賞は会場に映像が映し出され、的場騎手が自身の騎乗を解説した。

 同レースでは大井からJRAに移籍したボンネビルレコードとタッグ。15頭立て14番枠からのスタートだったが、1コーナー手前で内ラチに潜り込む好騎乗を見せた。「あまり外は回したくなくて、ちょうど内ラチ沿いが空いたので入っていった。武豊騎手が乗るシーキングザダイヤも強いですから、この馬の後ろに付けられたことが勝因。4コーナーまではこの馬に付いていけば間違いないと思った」と的場騎手。内の6番手でじっくりと脚を溜めて運んだ。

 直線は他馬の影響で狭くなる場面もあったが、わずかに確保した進路をさばき、先に抜け出したブルーコンコルドを鋭く差し切り戴冠。「内田騎手の馬(トーセンジョウオー)がバテてきてちょっと詰まったけど、ギリギリのところが1頭分空いて、あとはブルーコンコルドをかわせば勝てるなって感じだった。ボンネビルレコードもよく伸びてくれたし、感謝しています」と振り返った。

 的場騎手にとっては大怪我から復帰して、最初の重賞制覇でもあった。07年2月に浦和競馬のパドックで騎乗馬に蹴られ、脾臓と腎臓が損傷する重症。自身も「一番大きい怪我でした」と話す。「腹に血が2000cc溜まると命が危ないといわれる中、2200ccも溜まっていた。たまたま日本で有名なカテーテルの先生がその病院にいて、緊急手術の末に助かった。その先生がおらず、手術がもう2、3時間遅れていたら、助かっていなかったかも」。そんな生死に関わる大怪我を乗り越え、不死鳥のごとく手にしたビッグタイトルだった。

 その後もボンネビルレコードは的場騎手とのコンビで大活躍。08年のかしわ記念では再びJpnIタイトルを手にした。同年秋の日本テレビ盃では1分47秒8で駆け抜け、ダ1800mの日本レコード(当時)をマーク。通算74戦中59戦で手綱を執った主戦は、「ボンネには感謝していますね。色々と思い出があって」と懐かしんだ。同馬は大井競馬場の誘導馬を引退し、現在は北海道の加藤ステーブルで余生を過ごす。的場騎手は「機会があれば、ぜひ会ってみたいですね」と笑顔を見せた。

【的場騎手ベストレースファン投票の結果】
■1位 252票
07年6月27日 帝王賞 ボンネビルレコード

■2位 177票
97年6月24日 帝王賞 コンサートボーイ

■3位 79票
93年4月12日 帝王賞 ハシルショウグン

■4位 38票
18年8月12日 大井5R シルヴェーヌ
※地方歴代最多記録を更新する通算7152勝目

■5位 18票
86年12月23日 東京大賞典 カウンテスアップ

※総票数672票

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