茨城県の美浦トレセンから車で10分ほど。緑豊かで閑静な牧場で活動を行うのが「美浦ホースクラブ」だ。馬術を習うための一般的な乗馬クラブとはひと味違う。馬を身近に感じることを目的とし、昨年夏に設立された、美浦村の公認地域クラブ。「馬の世界への最初の一歩。そこだけ、サポートしてあげたい」。代表を務める阿部彩希さんは、そう理念を掲げる。
阿部さんは2人の娘を持つ母であり、夫の孝紀さんは美浦トレセンの調教助手。木村厩舎で
オーソリティや
ノッキングポイントを担当し、
イクイノックスの調教パートナーでもあった。クラブ発足のきっかけは、ささいな疑問。「美浦村はトレセンの村なのに、養老牧場や観光牧場、乗馬クラブが一つもなかったんです」。相手にしてもらえるか?と葛藤しつつ、一昨年の11月頃に村へメールで問い合わせ。「『現在は考えていない』と返ってきたのに、すごくカチンときて」。
模索するうちに、トレセンの関係者から民間の牧場を紹介された。当時は馬が2頭。放課後デイサービスに通う子供が馬と遊んでおり、阿部さんもそこに足を運ぶようになった。「養老牧場だけじゃなくて、福祉とか、教育とか、全部ひっくるめたものを作れないかな」。熱がさらに高まった頃、美浦村から「馬に関するクラブの代表をしてくれないか」と依頼を受けた。こうして美浦ホースクラブが誕生。現在はこの牧場を借りて、週に1回の活動を行っている。
先述したように、美浦ホースクラブの活動は乗馬だけではない。4頭のサラブレッドと1頭のポニーが住む馬房の掃除やカイバ作りなどの厩舎作業、隣接する畑での馬耕、座学など多岐に渡る。夫の阿部助手の人脈を生かし、
北村宏司騎手や現役厩務員、獣医がゲスト講師を務めたこともある。また、
美浦Sが行われる4月6日には、中山競馬場で蹄鉄を使ったオーナメントを販売する予定。クラブのメンバーによる手作りの雑貨だ。
「子供の時に少しでも馬と触れ合っていると、『将来、何やろうかな?』と思ったときに『馬、好きだったな』と思い出してもらえるきっかけになればいい」。馬という生き物に、多方面からアプローチしている。
阿部さんをここまで突き動かすものは、何より馬への愛情だ。小学生のときの乗馬体験から馬の魅力に取りつかれ、高校では馬術部に所属。卒業後は天栄ホースパーク(現・ノーザン
ファーム天栄)で勤め、筋金入りの“UMAJO”だ。「夫が厩務員になって、
オーソリティなど馬が勝つようになってきました。馬に生活を支えてもらっていたので、『何もしてあげられないっていうのは。どうなんだろう?』という気持ちが、だんだん強くなってきました」。いつしか、「馬のために」という使命感に駆られるようになった。
「生活を支えてもらっていた」という一頭が
ノッキングポイントだ。阿部助手がデビューから手がけ、23年の
新潟記念を勝利。浅屈腱炎のため、昨年7月に引退した。その後、最初にけい養されていた牧場主の厚意により、阿部家のもとにやってきた。阿部助手は「また自分のところに来てくれてうれしい」とほほ笑む。現役時代に担当した馬と引退後も近くで暮らせるのは、なかなかないケースだ。
阿部さんが描く夢は大きい。今後は、さらに広い施設で農業、教育、福祉、観光を目的とした牧場をつくることを目指している。「馬と一緒に農業をやりたい人も観光で来て、あとはフリースクール。村と子供たちのためにできることをしていきたい」。最初は非現実的な話。しかし取り組みを続けるうちに、村の議員から企業の役員まで、賛同者や支援を申し出る人が増えてきた。熱意の輪は、着実に広がっている。
馬に関わる業界は人手不足がうたわれ、美浦村も人口減少が続いている。馬を通じた地域振興も、阿部さんの願いの一つだ。「馬とできることって、もっとたくさんあると思う。そういう(馬と触れ合う)人が増えると、さらに引退馬の受け皿も増えるんじゃないかな」。馬のために、人のために、そして地域のために。美浦ホースクラブの挑戦は続く。(水納 愛美)
◇阿部 彩希(あべ・さき)1988年4月26日、福島県生まれ。36歳。小学5年生のとき、ムツゴロウ王国で乗馬を体験したことがきっかけで、乗馬を習い始める。高校卒業後は天栄ホースパーク、小松トレーニングセンター、井ノ岡トレーニングセンターで勤務。家族は夫と2女。
スポーツ報知