04年
皐月賞は今、振り返ってもワクワクするメンバーだ。
1番人気はホッカイドウ競馬の雄
コスモバルク。地方に所属したままG1を勝つという岡田繁幸氏(故人)の野望を背負った。
JRAでは
百日草特別、ラジオたんぱ杯2歳S、弥生賞と3連勝。全て2着に1馬身以上の差をつけており、隙はなさそうに見えた。
2番人気は
ブラックタイド。ス
プリングSを快勝して、ここへと乗り込んだ。黒鹿毛の威風堂々たる馬体で無限の可能性を感じさせた。
3番人気は
朝日杯FSの覇者
コスモサンビーム、5番人気は本格化前の
ハーツクライだった。
そんな中、ス
プリングS3着で、かろうじて
皐月賞切符を手にしたのが
ダイワメジャーだった。10番人気も仕方ないところだろう。だが、スタンドで見ていた
上原博之師には確信めいた思いがあった。「まともに走れば差はない。いい競馬になるはず」
上原博師が初めて
ダイワメジャーと対面したのは当歳時。全姉
ダイワルージュを管理し、牡馬相手に新潟3歳Sを勝っていた。期待を持って馬を見ると、それはそれは素晴らしかった。「大柄で
パワーも強い。これはいける」
だが、当時の
ダイワメジャーはパワフルを超越して、元気が余りすぎていた。2歳の春。まずは宮城県・山元トレセンに入ったが、元気が良すぎて北海道に戻された。元気が良すぎて、である。
03年暮れの中山でデビュー。だが、そのパドックで後々にまで語り継がれる珍事を起こす。何と寝転んでしまったのだ。
実はパドックの前、装鞍所でも大暴れ。
JRAが上原博師に「出走取消にしますか?」と打診したほどだった。そんなハチャメチャでもレースに行ったら首差2着。「これは、まともに走ったら相当凄いぞ」。上原博師はスタッフにそう話した。
「
ダイワメジャーを
皐月賞に送り出そう」。翌日から、それが上原博厩舎の合言葉となった。日程的には厳しかったが、ダート戦に出すなどして賞金を積み、ス
プリングS3着で何とか出走枠の端っこに引っ掛かった。
レースは圧巻だった。
ダイワメジャーの独り舞台だった。
互角のスタートから楽に2番手へ。直線を向き、残り250メートルで先頭。集団から抜け出した
コスモバルクが追い上げたが、
ダイワメジャーには届かない。
ミルコ・デムーロがスタンドに向かって左腕を突き出し、
皐月賞は決着した。
10番人気馬の快勝にスタンドがどよめく中、上原博師は冷静だった。「さすがだなあ、と思いながら見ていましたよ」
ダイワメジャーはその後、ノド鳴りを手術で克服するなど困難を乗り越え、古馬になっても活躍。西高東低ムードの中、孤軍奮闘、美浦を支え続けた。
スポニチ