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89年JC世界レコード勝ちのホーリックス死亡

  • 2011年08月25日(木) 22時27分
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ニュージーランド産馬として初めてジャパンカップを勝ったホーリックスが8月24日に繋養先のキャンブリッジスタッドで死亡した。28歳だった。翌日、所有者のグラハム・グルーチーの敷地内に埋葬された。

ホーリックスは父Three Legs、母Malt。生涯成績は40戦17勝。主な勝利はDBドラフトクラシックとニュージーランドステークスを各2勝、マッキノンステークス、ジャパンカップで、3カ国で6つのG1競走に勝利した。1989年の春シーズンはマッキノンステークスの勝利から3週間後、ジャパンカップを世界レコード勝ちする活躍だった。その翌年に引退し、生涯獲得賞金額は320万オーストラリアドル。

引退後は13頭の産駒を生み、その中に2000年メルボルンカップの勝ち馬Brewがいる。また、娘のLatteは2007年AJCオーストラリアンダービー勝ち馬Fiumicinoの母となっている。


【補足】
1989年のJCはオグリキャップの過酷なローテーションの中での激走、という印象が多くの人にあるでしょう。そこに立ちはだかったのが7歳(現6歳)牝馬のホーリックスでした。いまでこそ高齢馬のG1勝ちはさほど珍しくないですが、当時はかなりインパクトがあったと記憶しています。ましてや牝馬ですからね。メンバーも海外勢は凱旋門賞馬キャロルハウスに2400世界レコードホルダーのホークスター、日本勢はいわゆる平成三強揃い踏みと豪華メンバーでした。

そして引退後も繁殖牝馬として立派な成績を収めましたね。28歳は大往生といってもいい年齢でしょう。第二次競馬ブームを語る中で欠かせないシーンとして、ホーリックスの名前は今後も語られることになるでしょうね。
ネタ元のURL
http://www.bloodstock.com.au/news/story.php?id=20557

みんなのコメント2件

  • スーパーやっち

    スーパーやっち

     このニュースを初めて見た時は、『ホンマデッカ?』と思いました。

    私は、彼女が走っていた時期は、競馬ファンではありませんでした。ファンとなり、オグリキャップの現役時代のレースシーンと共に思い浮かぶ馬として記憶に刻まれています。
     当時のJCレコードとなる2.22.2の大レコードを叩き出した走りとジョッキーの風車ムチが印象的でした。

     更に、このレコードは16年後(2005年)に破られました。(勝ち馬:アルカセット、2着:ハーツクライ 優勝タイム:2.22.1)ですが、2005年のアルカセットら上位馬の "後方待機→末脚爆発" と違い、彼女は玉砕的に逃げた馬のほぼ直後を悠然と進み、後方待機組を封じて勝っただけに、(レコードは更新されたが・・・)余計あのレースの恐ろしさを感じました。
     母馬としても、優秀な仔馬を産み続けました。
     我々日本のファンにとって彼女こそ、"オセアニアの鉄女" の愛称が相応しいと思います。

  • イジノ

    イジノ

    晩秋の府中。
    荒れた芝。
    芦毛馬の叩き合い。
    大レコード。

    レース直後は不思議な感じがして凄さを理解したのは帰りの南武線の中。
    更に、それがとてつもない事だったと知るには翌日の新聞を見るまでわからなかった。

    色々な意味で競馬の不思議や面白さを自身に叩き込んでくれた馬でした。