ザビールレーシングの活動の旗振り役だったシェイク・ラシッド・ビン・モハメド・ビン・ラシッド・アル・マクトゥームが9月19日の朝に心臓発作で亡くなった。33歳だった。
サラブレッドのオーナーで熱心なホースマンでもあったシェイク・ラシッドはシェイク・モハメドの長男だった。彼はG1馬のヘニーヒューズ、リチャーズキッド、ゲームフェイスを所有してアメリカでの成功を享受していた。近年はサティス・シーマー調教師に預け、もっぱらドバイで所有馬を出走させていた。
ザビールレーシングは2006年に設立され、ヘニーヒューズが最初のステークスウィナーとなった。
2006年のヴォスバーステークス、キングズスタンドステークスを連勝したヘニーヒューズを手がけたキアラン・マクラウリン調教師は、シェイク・ラシッドはサラブレッド事業に対してとても熱心であったと述懐する。
(中略)
シェイク・ラシッドはイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校で学んだ。彼はドバイのアマチュア騎手として成功を収め、FEI世界エンデュランスチャンピオンシップなどでアラブ首長国連邦を代表するエンデュランス競技の騎手でもあった。
シェイク・ラシッドの埋葬は19日の夜にザビールモスクで祈りを捧げた後、ウム・フラー墓地にて執り行われたとエミレーツニュースエージェンシーが伝えた。ドバイでは3日間半旗を掲げて哀悼を表すると国から宣告されている。
■キアラン・マクラウリン調教師
私はマクトゥーム家お抱えの調教師としてドバイで10年を過ごし、彼の成長を間近で見てきましたので、彼のことをよく知っていました。馬について造詣が深く、良いホースマンでありました。彼の父や家族のことを思うととても悲しいです。
(Blood-Horse 9月19日)
【補足】
UAEとドバイの指導者シェイク・モハメドの長男の急死は世界中で報じられています。父ほどではありませんが競馬との関わりも深く、代表馬のヘニーヒューズは日本に種牡馬として輸入されています。
レースによっては100km以上走破するエンデュランス競技で活躍し、2006年のアジア大会では馬術競技のエンデュランス部門で金メダルを獲得しています。
なお、長男ですが皇太子は弟のシェイク・ハムダン・ビン・モハメド(注:シェイク・ハムダンとして有名なのはシェイク・モハメドの弟のほう)なので、王位継承権では大きな混乱はないと思われます。
- ネタ元のURL
- http://www.bloodhorse.com/horse-racing/articles/94525/sheikh-mohammeds-eldest-son-dies-at-age-33