オーストラリアのチャンピオンホースに上り詰めてから25年、リビングレジェンドの功労馬ベタールースンアップが30歳で死んだ。
ベタールースンアップは1990-1991年シーズンにコックスプレート、マッキノンステークス、ジャパンカップ、オーストラリアンカップに勝利するなどし、シーズン終了後に年度代表馬に選出された。
通算成績は45戦17勝入着12回、470万ドル以上の賞金を獲得した。
ベタールースンアップには現役時4人の調教師が関与した。2歳時はレス・セオドア、3歳時はバート・カミングス、そしてコリン・ヘイズとデビッド・ヘイズが引退まで手がけた。
デビッド・ヘイズの管理のもとで、ベタールースンアップはコックスプレートで道中30馬身以上離されながらもコースレコードで勝利し、その1カ月後にはオーストラリアの競馬史上唯一のジャパンカップ勝利を成し遂げた。
ルースンアップ(Loosen Up)産駒のベタールースンアップはメルボルン郊外のリビングレジェンドで、マイトアンドパワー(Might And Power,)、アパッチキャット(Apache Cat)、フィールズオブオマー(Fields Of Omagh)、ジッピング(Zipping)らと、引退後の生活を送っていた。
ベタールースンアップの魂は、彼の半妹を祖母にもつ、今週土曜日に行われるゴールデンスリッパーの2番人気フライングアーティー(Flying Artie)によって受け継がれるだろう。
■デビッド・ヘイズ調教師
ベタールースンアップに哀悼の意を評します。私にとって最良で最愛の馬で、真のチャンピオンでした。リビングレジェンドは引退後の彼に対して申し分のないケアをしてくれました。
(Sporting News 3月15日)
【補足】
他の記事によると、放牧場で心臓発作を起こし、回復かなわず安楽死処分となったようです。
1990年のジャパンカップといえば、カコイーシーズ、イブンベイ、フレンチグローリーなどの豪華メンバーによる好レースであり、オグリキャップが11着に惨敗したことでも記憶されるレースですね。
ちなみに、ベタールースンアップの優勝の翌年に誕生した全弟を北島三郎氏が購入し、キタサンヒーローの名で出走させていますが、地方での1勝で終わっています。その後も妹を購入するなどかなり投資したようですが、あまり成果は上がっていませんね。
- ネタ元のURL
- http://www.sportingnews.com/horse-racing-news/4698551-better-loosen-up-dies-aged-30