JRAジョッキー福永祐一が競馬観や騎乗論、人生観を自身の言葉で語る自伝的コラム
福永祐一
人間は変われるということ今にして思えば、2010年は自分にとって大きな変化の年だった。コーチを付けて、本格的に技術向上を目指し始めたこともそうだが、気持ちの面でも、それまでとは違っ...
馬に乗ったことがないコーチ藤原英昭厩舎の調教を手伝いながら、乗馬の基礎を学んだのが2008年から2009年。1から無心で取り組んだことで、確かに自分は変わっていった。そんな実感を得...
ジャスタウェイは、爆弾を抱えていた1月4日、日曜日。京都競馬場でジャスタウェイの引退式が行われた。20年のキャリアのなかで、ああいった舞台で馬を走らせたのは初めて。すごく寒い日だっ...
馬乗りを究極的に表現すると福永四位さんは、セカンドキャリアはどうするんですか?現実的に考えてますか?四位もちろん考えてるよ。俺のジョッキー人生、あと何年乗れるかって考えると、残され...
リーディングを獲ったことが逆転機に──2008年から2009年頃、福永さんに意識改革があって、藤原英厩舎で乗馬のベーシックな部分を一から学んだとのことですが、近くにいて感じるところ...
(つづき)勝つときは誰よりも鮮やかだった──福永さんがもうひとり、ファンと同じ目線で憧れていたというのが田原成貴さん。四位さんも尊敬されていたそうですが、改めて、“ジョッキー・田原...
天狗になってたら俺がぶん殴ってた!──96年のデビュー当時、福永さんが目標とするジョッキーとして挙げていたのが四位さん。今回はその四位さんをお招きして、いろいろとお話を伺っていきた...
有馬記念の鞍上に決まった将雅にひと言「実際に出してきた結果こそ、ジャスタウェイには及ばないかもしれないが、能力的に遜色がないのは自分が一番よくわかっている」──。11月25日、自分...
最初に浮かんだのは、岡部幸雄さんだった藤原厩舎の調教を手伝う傍ら、ダーくん(藤原調教師)や調教助手にいろいろアドバイスをもらいながら、馬術のベーシックな部分を学ぶ日々が始まった。競...
才能がないことは誰より自分が認めていた今、思い出しても、2006年〜2008年あたりは、自分にとって大きな転機だった。もちろん、当時の自分と同じ状況になっても、それと気づかずにやり...
現実を突きつけられた気分だった2006年は北橋厩舎の解散と同時に、園田から岩田くんが移籍してきた年でもあった。結果からいうと、この年、岩田くんは126勝で全国3位、自分は88勝で全...
同じ失敗を繰り返さないのが角居厩舎勝つことだけをイメージして挑んだエピファネイアでの天皇賞(秋)。結果は、いい手応えで直線を迎えながらも6着に終わった。道中あんなに掛かったのは久し...
北橋先生とは、そういう人なのだいよいよ2006年。北橋先生の引退の年がやってきた。もちろん、騎手としてデビューしたときから、自分が30歳を迎える年に厩舎が解散になることはわかってい...
出会った時点でネオユニヴァースを超えた前回(祐一Historyvol.18)でシーザリオまでを振り返ったが、自分にとってあの頃は、本当に華やかな時代だった。2005年は重賞勝利数も...
「ヨーロッパに行ってもやれたんちゃうかな」2005年の競馬界の話題といえば、ディープインパクト。ナリタブライアン以来となる3冠馬の誕生は、その勝ちっぷりも相まって、社会を巻き込んで...
同路線のエピファネイアとジャスタウェイ日本馬3頭が出走し、大きな注目を集めた今年の凱旋門賞。自分が騎乗したジャスタウェイは、最後までジリジリと伸びてはくれたものの、期待に応えるだけ...
あのときの選択は間違っていなかったと2002年の暮れには、ピースオブワールド(阪神ジュベナイルF)とエイシンチャンプ(朝日杯フューチュリティS)で、2週連続GIを勝つことができた。...
サニングデールが与えてくれたもののちに大きな影響を受けることになる岩田くんが、中央に頻繁に乗りにくるようになったのが2002年。ただ、正直移籍してくる前の岩田くんには、それほど強烈...
現時点での違いは集中力祐一のことは、小さいころからずっと見てたよ。俺のことは「毎年、お年玉をくれる柴田のおじさん」という認識しかなかったらしいけど(笑)、北海道でうちの子供たちと一...
努力なくして天才は生まれないかれこれ50年くらい前の話になるけど、洋一とは馬事公苑時代からの親友でね。最初から「こいつは柔らかいなぁ」と思って見ていたよ。手首の使い方とか、馬への合...
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