JRAジョッキー福永祐一が競馬観や騎乗論、人生観を自身の言葉で語る自伝的コラム
福永祐一
スタートが良ければ、前で競馬をしてもいいと9月10日、ジョッキー生活18年目にして、初めてロンシャンの地を踏んだ。芝2000mの一般レースにリリエンタールで出走し、10頭立ての9着...
自分がやろうとしていることを40年前の父が…先週のコラムにも書いたが、つい先日、初めてじっくりと父親のレース映像を見た。70分くらいの映像だったけれど、そのなかにはたくさんのレース...
天才、無口、調教下手…“福永洋一”とはどんな人物なのか現役時代の父親の話は、母親や周りの人が教えてくれた。みんなが口をそろえて言うのは「あいつは天才だった」ということ。追い込み馬を...
自分が守れる範囲の人を大事にしたい自分の人生を振り返るうえで、北橋先生は欠かせない存在だが、そもそも北橋先生と父親がどういう関係にあって、自分をここまで可愛がってくれるのか、その原...
「俺じゃなかったらもっと勝ってた…」三度目の挑戦となった香港Cは、明らかに自分のミスで負けたレースだった。道中は、完全に香港の馬に囲まれてしまって、まったく動けない状態だった。それ...
世間が「安藤勝己」に沸くなかでエイシンプレストンは、自分にとってとても思い出深い1頭だ。たとえば取材で、「一番印象に残っている馬は?」と問われたら、間違いなく最初に名前が挙がる1頭...
◆北橋先生の顔を見て、込み上げてくるものが…結局、小倉大賞典でのマルカコマチは幸四郎に乗り替わり、勝ったスエヒロコマンダーからコンマ1秒差の3着。自分は腎臓を摘出し、3カ月半以上休...
◆GI制覇の喜びもつかの間、翌週に招いた事態キングヘイローで挑んだダービーは、スタート直後から持っていかれて14着に惨敗(関連コラム『キングヘイロー・エピファネイア・レッドリヴェー...
ジャスタウェイは参加するだけの馬ではない早いもので、2014年も折り返し地点を通過した。この半年、いいことももちろんあったが、やはり自分のなかでは三度の騎乗停止が大きなウェイトを占...
◆教えを習得できるまで喰らいついていれば1998年、皐月賞。キングヘイローは、豊さん騎乗のスペシャルウィーク、典さん騎乗のセイウンスカイに次ぐ3番人気に支持された。僅差の4番人気に...
◆「豊さんに依頼がいくような馬は違うな」日曜日のレース終わりから木曜日の夜までたっぷり遊んで、週末は競馬に全力投球。1、2年目は、遊びも競馬もとにかく一生懸命だった。一番一緒にいる...
◆下手なのにチャンスだけは人一倍今となっては信じられない話だが、デビュー初年度から重賞に21鞍も乗せてもらった。なにしろ、最初の重賞騎乗がデビュー初日。3月1週目に組まれていた当時...
◆ジャスタウェイ関係者に迷惑をかけてしまった6月1日、日曜日。今年に入って3度目の騎乗停止処分を受けた。去年を入れると、1年半で6度目。一昨年からさかのぼっての10年間を振り返って...
■当時の自分にはコンプレックスしかなかった競馬学校での3年間を終え、96年3月2日、中京2Rでデビュー(マルブツブレベスト)し、初騎乗初勝利を挙げることができた。2戦目の3Rも連勝...
■ジョッキーとはつくづく業の深い仕事競馬学校2年生のとき、授業の一環でトレセンでの厩舎実習があった。その名の通り、調教も含めてトレセンでの一連の作業を学ぶのだが、ある日、北橋先生に...
■“ダビスタ”の影響、競馬への興味は血統から柴田大知、柴田未崎、高橋亮、田村真来、常石勝義、古川吉洋、細江純子、牧原由貴子、和田竜二、そして自分。双子のジョッキーや女性ジョッキーの...
■競馬学校は不合格、1年間自分と向き合って騎手を目指すことを告げたときの母親の反応は、「はぁ?」という感じだった。祖父は喜んでくれたが、母親はもちろん大反対。母親にしてみれば、98...
◆“勝てなかったダービー”から学んだこと今年のダービーは、牝馬のレッドリヴェールで挑むことになった。依頼がきたときは正直、驚いたけど、レッドリヴェールは桜花賞で改めてその強さを感じ...
■勉強でもなんでも“平均よりちょっと上”そもそも、栗東に住んではいたが、地元の金勝(こんぜ)小学校に通ったのは2年生の途中まで。当時、近所に住んでいた5つ年上の親戚のお兄ちゃんに憧...
■“洋一・祐一”親子を支え続けた祖父の偉大さ競馬ファンなら誰もが知っているであろう福永洋一。落馬事故で騎手生命が断たれて35年の月日が経つが、2010年から高知競馬場で毎年開催して...
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