重賞ウイナーからファンに愛されたあの馬まで、競馬から退いた後の知られざるエピソードをご紹介。
佐々木祥恵
冠名“ライブリ”は間違いから?!1989年に中央競馬と地方競馬の交流レースとして創設されたのが、ホッカイドウ競馬で行われているブリーダーズゴールドC(現在は牝馬限定戦)だ。当時、中...
強烈な末脚が魅力の不死鳥1993年のダービー馬ウイニングチケットとともに功労馬として繋養されているのが、2007年に高松宮記念(G1)を制したスズカフェニックス(セン)だ。2002...
世代の主役、第60代ダービー馬ヒシマサル、ダイユウサク、ニッポーテイオー。うらかわ優駿ビレッジAERUで余生を過ごして天寿を全うした名馬たちの素顔を3週に渡って紹介してきた。3頭亡...
80年代の短距離路線を賑わせたニッポーテイオー有馬記念で人気薄で激走し、波乱の立役者として人々の記憶に残ったダイユウサクが余生を送っていた浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUで28...
有馬記念で大番狂わせ一瞬にしてその名を轟かせた今年3月に亡くなったヒシマサルが余生を送っていた北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUには、かつてターフを賑わせた名馬たちが他にも...
‟2代目”ヒシマサル1992年のきさらぎ賞(G3)、毎日杯(G3)、京都4歳特別(G3)と重賞3勝のヒシマサルが、今年3月6日に老衰のため亡くなった。29歳だった。ヒシ...
いつも『第二のストーリー〜あの馬はいま』をご愛読いただき、誠にありがとうございます。6月12日(火)更新分は、取材スケジュールの都合により休載とさせていただきます。読者の皆様には大...
今日を生きようと、何度も何度も立ち上がる「今年の春は例年になく早くやって来ました。3月27日アーロンは桜の散る中、静かに天国に旅立ちました。今頃天馬となって他の仲間たちと大空を思い...
アクエリアスと積み重ねた日々京都産業大学から茨城県のヨシザワライディングファームにやって来たアクエリアスことアイネスサウザーは、新しい環境にもすぐに慣れた。「元気で扱いが難しいと聞...
世代の主役にはなれずとも皐月賞、日本ダービー、菊花賞を圧倒的な強さで勝利し、三冠馬に輝いたナリタブライアン。1994年、競馬界にはナリタブライアン旋風が吹き荒れた。「シャドーロール...
その気性に手を焼かせるも、長く走り続けたシンボリグラン競走馬として晩年に差し掛かっていたシンボリグランとは、厩舎取材の合間によく顔を合わせていた。グランの隣にいる牝馬がお気に入りだ...
いつも『第二のストーリー〜あの馬はいま』をご愛読いただき、誠にありがとうございます。5月8日(火)更新分は、急きょ取材スケジュールが変更となりました関係で、休載とさせていただきます...
いつも『第二のストーリー〜あの馬はいま』をご愛読いただき、誠にありがとうございます。5月1日(火)更新分は、取材スケジュールの都合により休載とさせていただきます。読者の皆様には大変...
「何かを悪として非難するのではなく、今できることを考えたい」人と馬との共生がテーマのドキュメンタリー映画「今日もどこかで馬は生まれる」の制作費を募るクラウドファンディングが4月22...
手探りで始まる制作活動広告映像会社内で有志が集まって結成された映画制作サークルCreemPan内の投票と話し合いの結果、平林健一さんが企画した「今日もどこかで馬は生まれる」の制作が...
きっかけはひとつのネットニュース「今日もどこかで馬は生まれる」…ある時期からフェイスブックやツイッター上で、このタイトルが目に留まるようになった。調べてみると引退した競走馬たちにつ...
引退馬に光明も尽きることのない悩みと葛藤引退した競走馬はどこへ行くのか、どのような道を辿るのか…。引退した馬の後を追うことは、競馬の世界では長らくタブーとされてきた。競走馬だけでは...
「1番力を入れたい」ホースセラピーとの連携――競走馬引退後のセカンドキャリアとして、乗馬への転用ということでしたが、サードキャリアとしてホースセラピー用の馬へというお話もありました...
透明性のある“資金援助と団体認定”を目指す――今回JRAが中心となって設立される組織は、具体的にどのような仕事を行っていくのですか?話せる範囲でお願いします。鈴木いくつかの大きな仕...
筆者も感慨「こんな日が来るとは…」取材の合間に競馬関係者と雑談する中で幾度となく耳にしたのが「引退した馬の後を追わない」という言葉だった。それが胸に引っ掛かり、自らブレーキをかけ、...
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