日本ダービーの実況を16年間担当した長岡一也が競馬と人生観を語る
長岡一也
年初、こんなことを考えてみた。競馬の中にみつけたいもの、それは何だろうと。今だからこそ、切に願うことがあるではないかと。流れる水がとどこおって止まっているような世情、この淀んだ空気...
当コラム「競馬コラム」の12/31(木)公開分は休載させていただきます。1/7(木)より掲載を再開いたしますので、何卒ご了承いただきますよう宜しくお願い致します。
競馬を、夢の連続と捉えるとしたらどうだろう。そこには、悲喜こもごもの結末があって、そこに至る様々な迷いが含まれる。しかし、いつまでも引きずらないからいい。だから、いつも心新たに前向...
わずか一行の近況報告、そう、年賀状のこと。この年末の大仕事にいつ取りかかるか、なかなか腰が上がらない。受け取る方は、わずか一行でも、その人の今を察しようとするものだ。何度も読み返す...
もう師走、なんとか自他共に笑顔で、幸せな気分になって新しい年を迎えたいと思う。ならば、どうしたらいいか。競馬なら勝つことが第一だが、そんな虫のいい簡単な話ではなく、ちょっと考えてみ...
判官びいきというのは、われわれ日本人特有のものなのだろうか。それは、強い情なくしては考えられない。そして、その情が肩を持つという行為になり、今流の言い方をすれば、強力なサポーターに...
不完全燃焼、この無念は、結構引きずるものだ。事にあたるとき、そうならないように心するのだが、ちょっとした気の緩みからよく失敗する。すべてを活かし切る、時間の活用、情報の活用など、ど...
思いがけないこと、何が起こるか分からない、だから諦めることはないのだ。よく言ってきたし、耳にしてきた。だが、多くはどうにもならないときに出てくる言葉のように映っているのではないだろ...
こんなことを考えてみた。人それぞれの抱く感情は、実は人づてに伝わっていき、それがいくつもいくつも重なり合って社会は作られているのだと。自分から誰かへ、その誰かから別の誰かへと伝わり...
本当に好きなことに心を打ち込むと、ただ夢中になるということだけでなく、そこに愛情が、そして感謝の思いまで生まれてくるものだ。こういう経験は、心を豊かに導いてくれる。競馬の中でも、好...
道半ばにして力尽きる、ああもうちょっとだったのにということ、よくある。その道半ばの捉え方だが、場面場面で随分異なってはいるが、所詮、駄目なものは駄目なのであって、そこに惜しいという...
好きな言葉がある。それはこうである。「ものには堪忍ということがある。この心掛けを忘れてはいけない。ちっとはつらいだろうが我慢をするさ」と言い、続いて「世の中は、陰陽、陰陽、陰陽と続...
その内には、またきっと好い事がある。そうそう悪い事ばかり続くもんじゃないからと、時折自分に言い聞かせることがある。好い事は予期することはできないが、少しでもそんな気分に自分を持って...
暗い不可思議な力が、右に行くべき彼を左に押しやったり、前に進むべき彼を後ろに引き戻したりするように思えたと、漱石は「明暗」で述べていた。人の運命とは、斯様に分からないものだから、あ...
とことん突き詰めなくては納得できない、それはそれでいいのだが、質問を掛け続けてあるところまで行くと、それはもう質問ではなくなり、まるで詰問に変化していく。その執念、やや疲れるのだが...
人物としての相場、これは周囲が決めるものだから、気にしないでいると生涯、何も知らずに済ますことはできる。いや、できればそんなことは考えずに生きていくのがいいに決まっている。だが、人...
強いて自分にさえ隠そうとすること、誰にだって、ひとつやふたつはあるもの。このやせ我慢、それは生きていくうえでの美学でもあるのだから、お互い、そっとしておくべきだと思う。なのに、そこ...
こんなに誰もの自己主張が強くって、どうして穏やかになれるものか。これは、あの「吾輩は猫である」に書かれてある一文だ。文明が進むに従って殺伐の気がなくなり、個人と個人の交際が穏やかに...
日々生活を送る中で遭遇する事ごと。例えば、何か思いがけなくも手に入るとか、逆に期待したほどではなくガッカリさせられるとか、得をしたり損をした気分になることはよくある。こうした損得勘...
馬券であてるのは、人の心をあてるより難しいじゃありませんかと、漱石は「三四郎」の中で書いている。漱石の頭の中に競馬があったというのは面白いが、今から百年以上も昔、イギリスに留学した...
761〜780/1,190件