日本ダービーの実況を16年間担当した長岡一也が競馬と人生観を語る
長岡一也
始原に返る、物事が行き詰った時思いつく人間の知恵は素晴らしい。そもそもについて思い起こせば、そこに一条の光が見えて来て、それまでどう動かしようもなかった観念が動き出すことがあるのだ...
ことさらな為業(しわざ)のない無為の行動こそ、真実の道のはたらきを生み、ことを立派に成し遂げると教えている。多くのことに通じていくこの哲学は、競馬の勝利の姿によく見る。為さずして為...
状態が余程良かったのは側にいてよくわかった。何しろ、桜の小枝に飛び付こうとするんだから。これは、かつてダービーを勝ったダイシンボルガードの大崎騎手が言っていたこと。また、大人気のハ...
人の一生には山あり谷あり、どのくらいの不しあわせならよしとすべきか。何も彼もが意のままにと思えたことは、殆どない。だからと言って不幸だなんて考えるものではないし、突き詰めれば悲しく...
期待するから失望する、夢を見るから破られる、何にも大まじめに言っているのではない。競馬に参加していれば、こんなことは当たり前だからだ。それでも、信じてつき合っている方がマシというも...
望みは大きいに越したことはないと、これみんなが思っていること。とにかく望なのだからと。ある面では正しいと言えるのだが、いつまでたっても叶えられないと、そうとばかりは言ってられない。...
希望の星、輝きを放つその姿は、この先に続く救いの道を示してくれる。みんながなにかにつけ、希望の星を追い求めるのは、ある種の宿命から解放されたいと願っているからではないか。人間の宿命...
道は遠い、上には上がある。いつだってあと一歩と思い知らされる。様々な場面で体験してきたこれらのことごと。そうした中で、いまもって生き残っているものがいくつかある。やっていて面白いと...
何でもひとひねりしないと承知しない。当たり前でないことをもっともらしく言うと、わけがわからなくとも感心する。そんなことが多いとは思えないか。これは、当たり前のことを知らなすぎるため...
競馬は、虫のいい空想をするようなものだと思う。それと同時に、石橋をたたいて渡るような気分にもなり、最悪の時を考え、その覚悟を忘れてはいない。この心境があるから、たゆまず競馬に挑戦し...
お金、名声、欲望が私の人生をダメにした。ハリウッドは、私の人生の最も素晴らしい時代を浪費したところと、その昔、多くの映画に主演し、マレーネ・ディートリッヒとトップの座を競ったハリウ...
大きな声でくり返し唱えることで、不思議と心安らかになる、そんな心境に思いを馳せたことがある。菊池寛が昭和11年に著した「日本競馬讀本」の中に、現代でも立派に通用する競馬哲学を見い出...
世の中、気心の合う者とそうでない者とがある。好きな者同士が呼び合い、気に食わない者はできるだけ遠ざける。仕方のないことのようだが、ほうっておくと確実に世界が狭くなっていく。どうにか...
競馬に「未練」を見出すことがよくあるが、そんなとき、ふと頭に浮かぶヒット曲がある。「五番街のマリーへ」だ。五番街に行ったなら、マリーという娘がどうしているか見てきてほしいと頼み、も...
五大クラシックレースの桜花賞、皐月賞、それぞれのトライアル第一弾が終了し、クラシック戦線は一気に加速する如くだ。胸騒ぎを覚える。チューリップ賞も弥生賞も、ともに本番と同じコースであ...
今年の牡馬クラシック戦線は、なかなか先が見えてこないとはいえ、弥生賞となればそうとばかりも言ってられない。確実に一歩前進する。これまでは、ひたすら時の経過を見すごしていたのだが、動...
毎年この時期にある調教師の引退、つくづく時代の変化を感じさせるときでもある。去る者は日々に疎しではあっても、その去って行かれるホースマンの残したものについてどれだけ記憶していけるだ...
2月も下旬になろうというのに、一向に寒さは和らいでくれない。光の春、梅見月はどこにいったのか、愚痴のひとつでも言ってみたくなる。いつまでもこんなである筈はなく、確実に気温は上がって...
レースを重ねる毎に混迷の度を増す牡馬クラシック戦線。例年、共同通信杯からこの先が見えてくることもあるのだが、今年は、戦国の様相を深めるばかりで、いつになったら下馬評に上げていい確た...
競馬には様々なサークルがある。放送、新聞の担当者が集まる記者クラブは、各種サークルの中でも1番目につく存在だが、調教師会、騎手クラブなども一種のサークルではある。しかし、これらはい...
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