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世界恐慌、競走馬市場も直撃

  • 2008年10月07日(火) 19時30分
 そうでなくとも年初来より景気の動向が極めて不透明であったところに、「リーマンショック」と「米金融法案下院で否決」という近年稀に見る破壊力を秘めた爆弾が2発続けて炸裂。半ば恐慌状態に陥った世界経済の影響が、競走馬のマーケットも直撃している。

 9月29日から10月1日まで、ダブリン近郊で行われたアイルランドにおける最上のイヤリングマーケット「ゴフス・ミリオンセール」は、総売り上げが前年比39.9%ダウンの3235万ユーロ、平均価格が前年比34.0%ダウンの72,867ユーロ、中間価格が前年比37.5%ダウンの45,000ユーロ、前年13.6%だったバイバックレートが今年は25.0%と、壊滅的と言って過言ではない数字を残して終わった。

 金融市場だけでなく、株、商品、土地など、あらゆるマーケットが世界的に大きなダメージを受けていることを鑑みれば、一般景気とは異なるマネーフローを持つと言われる競走馬市場とて影響を受けないわけがなく、販売者も主催者もある程度の下落は覚悟していたのだが、それにしてもこういう数字を現実のものとして突きつけられると、大きな衝撃を受けざるを得ない。

 「ゴフス・ミリオンセール」に先だってアメリカのケンタッキーで行われた「キーンランド・セプテンバーセール(9月8日から23日)」も、総売り上げが前年比14.8%ダウンの3億2799ドル、平均価格が前年比10.3%ダウンの90,984ドル、中間価格が前年比11.9%ダウンの37,000ドル、前年22.5%だったバイバックレートが今年は24.8%と、すべての指標が大幅な下落を示す結果となっている。「キーンランド・セプテンバー」の場合、初日・2日目のセレクトセッションを含めて最初の1週間は、リーマン破綻が表面化する以前に行われたものだったのだが、セレクトセッションだけの市況を見ても総売り上げが前年比22%ダウンで、平均価格が前年比12.4%ダウンだったから、既にして世界恐慌はおり込み済みとも言える失速ぶりであった。

 その後、冒頭で述べた2つの爆弾が炸裂した後に行われたのが「ゴフス・ミリオンセール」だったのだから、市場規模が一気に前年の5分の3になってしまうという結果も、致し方のないことだったようだ。

 土地高騰をはじめとしたバブリーな景気に乗っかって、生産過剰気味となっていた欧州のサラブレッドビジネスにとって、ひどく荒っぽい形で修正局面を迎えたとも言えそうで、今後は基礎体力に欠ける組織を巡って、競馬産業界内部における破綻や再編が展開されることになるのであろう。

 これだけ市場が低迷し、なおかつ、ドルもユーロも近年にないほど安くなっているという状況を鑑みれば、本来であれば日本人購買者にとって千載一遇のビジネスチャンスであるはずなのに、そうはならないのは、ひと足早くバブルが弾けて弱体化した日本経済の足腰が、よそ様をおぶえるほどには回復していないからであろう。

 今年のキーンランド・セプテンバーにおける日本人によると見られる購買は、平均10万3千ドルで11頭。前年が平均24万ドルで25頭だったから、投資規模としては前年の5分の1以下に激減したことになる。実を言えば、昨年のセプテンバーにおける日本人投資は、一昨年に比べると40%以上の下落であったから、ここ2年の間にセプテンバーにおける日本人投資は、ほぼ10分の1の規模にスケールダウンしたことになる。

 一方、今年のゴフス・ミリオンセールにおける日本人によると見られる購買は、平均83,333ユーロで3頭。前年は平均18万ユーロで3頭だったから、ここも投資規模としては半分以下に落ちたことになる。

 日本の馬主さんだって、金融市場の混乱の影響を少なからず受けておられる方は多いだろうし、それ以前の問題として、日本産馬の資質向上と価格鎮静化というファクターが厳然として存在している以上、日本で競馬を使うことを目的とした外国産馬の購買が奮わないのも、むべなるかなである。

 この原稿がアップされる頃、私は英国における最上のイヤリングセール「タタソールズ・オクトーバーセール」の会場にいる。どんなマーケットが展開されているものやら、いささか気がかりである。出来うるならこの機に乗じて、効率的な購買をされる日本人購買者がおいでになればいいなと願っている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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