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明暗を分けたスミヨンとルメール

  • 2009年10月06日(火) 23時59分
 10月3日・4日の両日にわたってフランスのロンシャン競馬場で催された「アーク・ウィークエンド」の主役が、脅威の瞬発力を発揮して凱旋門賞を制したシーザスターズ(牡3歳)であったことは間違いないが、もう一人、大きな見出しになる話題を提供したのが、クリストフ・スミヨン騎手であった。

 スミヨンと言えば8月末、8年にわたって続いていたアガ・カーン殿下との主戦契約を、今季限りで解除することを通達され、しかもその2週間後の9月9日には、ナンシー競馬場で落馬し、後続馬に踏まれて肘を骨折。まさに「踏んだり蹴ったり」の日々を送っていた男である。怪我の回復には相当の日数を要すると言われ、アーク・ウィークエンドもフランスの競馬チャンネル「エキディア」でゲスト解説を務めることになっていたスミヨンが、何の前触れもなく突如として復帰を果たし、なおかつ、G1とG2に優勝する活躍を見せたのだ。

 3日(土曜日)のお昼前、エキディアのカメラがロンシャン競馬場に入るスミヨンの姿を捉え、ファンは久しぶりに見たトップジョッキーの元気な姿にまずは安堵したのだが、ここでやおらスミヨンが、肘に巻いていたギプスを、わざわざカメラの前で外して見せるパフォーマンスを展開。そのままスタスタとジョッキールームに歩を運び、勝負服に着替え出したのだから、見ていたファンは仰天することになった。

 聞けば、肘の怪我は当初の診立てを遥かに上回る早さで回復し、アーク・ウィークエンドでの復帰を目指して秘かにリハビリを行っていたとのこと。この日の朝に、療養していたドーヴィルで主催者フランス・ギャロの専属医師によるメディカル・チェックを受け、騎乗に支障なしとのお墨付きを得た上で、ロンシャンに馳せ参じたスミヨン。既に外していたギプスをわざわざ巻きなおして来場したのは、茶目っけに溢れた人気騎手によるファンサービスだったようだ。

 スミヨンの電撃的な復帰が、殊更にファンの注目を集めた裏には、前日の10月2日に起きた、別の落馬事故が伏線としてあった。来季から、スミヨンに替わってアガ・カーン殿下の主戦を務めることになっているクリストフ・ルメール騎手が、サンクルー競馬場で落馬し、左の鎖骨に亀裂骨折を発症。凱旋門賞のスタセリタをはじめ、多くの有力馬に騎乗することになっていたアーク・ウィークエンドを欠場せざるを得なくなり、いったい誰がルメールの代役を務めるのかが、大きな関心事となっていたのである。

 3日(土曜日)、スミヨンはいずれもルメールから乗り替わる形で、1400mのG1ラフォレ賞と、1600mのG2ダニエルヴィルデンシュタイン賞の2鞍に騎乗。復帰初戦となったラフォレ賞のオワスーデフーこそ6着に敗れたが、ダニエルヴィルデンシュタイン賞ではタマジルテに騎乗して見事優勝を果たし、復帰を自ら祝うことになった。

 更に4日(日曜日)にも、2鞍に騎乗。凱旋門賞のスタセリタこそ、怪物シーザスターズの前に為すすべもなく敗れたが、2歳牝馬のG1マルセルブサック賞では、首を切られたアガ・カーン殿下のロザナラにルメールに替わって騎乗。ゲートを出た直後に躓く不利を克服して優勝し、あっぱれな意趣返しを果たすことになった。

 しばしば物議を醸す言動はともかくとして、さすがに腕は確かであると、評価を上げたスミヨンに対し、逆に「踏んだり蹴ったり」な目にあったのが、ルメールだ。アーク・ウィークエンドで騎乗する予定だった馬たちが、スミヨン以外の騎手に乗り替わった馬も含めて大活躍。ジェラール・モッセに手替わりしたG1ジャンルクラガルデル賞のシユーニ、G2シャデネイ賞のマニガール、G2ロワイヤリュー賞のダリヤカーナ、マキシム・ギヨンに乗り替わったG1オペラ賞のシャラナヤ、ドミニク・ブフに乗り替わったG2ドラール賞のパイプドリーマーが優勝を果たし、スミヨンに乗り替わった馬も含めて、土日でなんとG1・2勝、G2・4勝の荒稼ぎをしたのである。予定通り騎乗していたなら、そうでなくても高まっていたルメールの評判は更に上がっていたはずで、彼にとっては様々な意味で実に痛い負傷欠場となった。

 クリストフ・ルメールとクリストフ・スミヨン。実はふたりとも、この秋には短期免許を取得して日本で乗る予定があると聞いている。フランス人トップジョッキー2人のライバル関係が、日本に持ち込まれるわけで、両名がどんな手綱さばきを見せるか、秋競馬の大きな見どころになりそうだ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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