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英2000ギニー回顧

  • 2011年05月04日(水) 12時00分
 今週は、4月30日にニューマーケットで行なわれた2000ギニーについて、書かねばなるまい。

 すでに像をご覧になった方も多いと思うが、気が付けば口をあんぐりと開けていたファンが、たくさんおられたと思う。観ていた側が仰天したのも当然で、一緒に走っていたライバル陣営の騎手たちですら、馬の上で唖然としたのが、フランケル(牡3、父ガリレオ)のパフォーマンスであった。

 レース前半から行きたがるところのあるフランケルのために、オーナーブリーダーのジャドモンド・ファームがペースメーカー役として用意したのが、リルーテッド(牡3、父ストーミーアトランティック)だった。2歳時にはG3ソマーヴィルタタソールズSに勝ち、G1クリテリウムインターナショナルで入着をしているという、実績馬である。スピード豊かなフランケルの先導役は、これぐらいの能力がある馬でないと務まらないであろうということで、白羽の矢が立った馬だった。

 フランケルが最内の1番枠を引いたのに対し、リルーテッドが引いたのは大外の13番枠と、共同戦線を張るにはいささか不都合なポストポジションとなったことを懸念する声はレース前からあったのだが、ゲートが開くとまもなく、ジャドモント陣営が描いたプラン通りには事態が進まぬことが明らかになった。ハナを切ったのは、フランケルだったのである。

 リルーテッドもダッシュよく飛び出し、レースを先導する意思は示したのだが、昨年10月の2歳チャンピオン決定戦・デューハーストSの時には、馬と喧嘩しながらも控える競馬にこだわった鞍上のトム・キーリーが、この日は強引に抑えることをせず、そうなればスピードの絶対値が違うフランケルが先に行くのは自明の理である。おそらく調教での手応えから、この日のフランケルが抑えるのが困難なほど戦闘モードに突入していたことを、キーリーは感じ取っていたのであろう。そしてまた、この日のフランケルであれば、こういう競馬をしても絶対に勝てるという確信もあったのであろう。

 半ば確信犯的に陣営のプランを反故にしたトム・キーリーは、フランケルの行く気に任せた競馬をした結果、英国競馬史に残るパフォーマンスが生み出されることになった。手綱をしごきながら2番手につけたのがカサメント(牡3、父シャマーダル)だったが、ハーフウェイ付近で逃げたフランケルと後続との差は、10馬身以上に広がっていた。カサメントも、2歳時にはG1レイシングポストトロフィーを含めて2つの重賞を制し、今季の有力なクラシック候補と目されていた馬である。そのカサメントが、ノシをつけて追走を試みても、まったく追い付けない速さで、フランケルは馬群をリードしたのだ。結局、カサメントはフランケルから35馬身近く遅れる10着でゴール。3番手を追走したのが、G1クリテリウムインターナショナルの勝ち馬で、2番人気に推されていたロデリックオコナー(牡3、父ガリレオ)だったが、そのロデリックオコナーはカサメントから更に2馬身遅れる11着に沈んだ。すなわち、フランケルを追いかけることが自殺行為であることを理解していなかった馬たちは、バテて惨敗を喫したのである。ちなみに、ロデリックオコナーの手綱をとった、リーディングジョッキーのライアン・ムーアはレース後、「あんなの見たことないよ。私がこれまで見た、ベストパフォーマンスだ」とコメントしている。

 最終的には6馬身差で勝利を飾ったフランケル。64年前の1947年にチューダーミンストレルが勝った時に記録した8馬身に次ぐ、2000ギニー史上2番目となる圧勝劇だった。

 また、フランケルの最終単勝オッズは「1/2」。日本式に直すと。1.5倍だった。フランケル、31年前の1970年、英国最後の3冠馬ニジンスキーが2000ギニーを制した時に記録した「4/7」、日本式に直して1.57倍を下回る、レース史上で最も単勝配当の低い勝ち馬となった。

 人々の度肝を抜いたパフォーマンスに、エキスパートたちも最大級の評価を与えている。

 BHAのオフィシャルハンディキャッパーによる暫定レートは、130。1993年の2000ギニー馬ザフォニックと同評価だ。競馬日刊紙レーシングポストが与えた暫定レートは、133。レーシングポスト・レーティングという独自の評価が発表されるようになったのは1988年からだが、それ以降の2000ギニー馬としては最も高い数字だ。そして、タイムフォーム誌が与えた暫定レートが、142ポンド。タイムフォーム・レーティングの歴史上で4番目となる数字となっている。

 さてこうなると、誰もが気になるのが、フランケルの次走である。管理するヘンリー・セシル調教師はレース後のインタビューで、馬主と相談して決めると明言を避けたが、選択肢は2つだ。

 1つは、このままマイル路線を歩み、無敵の快進撃を続ける道だ。そうなると次走は、ロイヤルアスコットのG1セントジェームスパレスSになる予定で、大手ブックメーカーのラドブロークスは、1/3(1.33倍)というオッズを掲げている。圧倒的なスピードを見せつけたこの日のレース振りを見れば、マイル以下の距離に適性があることは明白で、常識的にはこの路線を行くべきであろう。

 もう1つは、距離の長い路線に挑む道である。これだけ抜きん出た能力を持つ3歳馬であれば、ダービー、そしてセントレジャーと、夢が膨らむのも無理からぬことだ。フランケルは5月12日にヨークで行なわれるダービープレップのG2ダンテS(10F88Y)に登録があり、当初は、ここで距離への融通性を確認した上で、スタミナに問題なしとなればダービーへ向かうというプランもあったが、どうやらダンテSは回避するようで、距離を延ばすのであればダービー直行になる模様だ。

 2000ギニー直後、レーシングポストの電子版が、フランケルはダービーに向かうべきかどうか、ファンの投票を募ったが、予想に反して全体の4割以上が「ダービーには行くべきではない」と答えている。ニジンスキー以来の3冠馬誕生を夢想する一方で、2000ギニーのような競馬を一度してしまうと、今後再び抑える競馬をするのは相当に困難であり、マイル路線を行くのが現実的と見たファンが多かったようだ。

 それならむしろ、距離を縮めるという選択肢の方が現実的で、この馬なら1200mのG1にも充分に対応できそうである。豪州のスーパーヒロイン・ブラックキャヴィアとどこかで対戦、などという夢を見るのも悪くない。

 いずれにしても、今後はフランケルの一挙手一投足に、世界の競馬メディアの注目が集まることになりそうだ。

▼ 合田直弘氏の最新情報は、合田直弘Official Blog『International Racegoers' Club』でも展開中です。是非、ご覧ください。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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