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ヘンリー・セシルに、ナイトの称号

  • 2011年06月15日(水) 12時00分
 6月11日、イギリスにおける今年度の叙勲者リストが発表され、ニューマーケットに本拠地を置くトップトレーナーのヘンリー・セシルに、ナイトの称号が贈られることが明らかになった。

 ヘンリー・セシルは、1943年1月11日生まれの68歳。チャンピオントレーナーだった義理の父セシル・ボイドロックフォート調教師の下で5年間修業した後、1969年に開業。今季が43シーズン目となる。1975年、フランキー・デトーリの父ジャンフランコ・デトーリを鞍上に配したボルコンスキーで2000ギニーを制し、クラシック初制覇。今年の春にフランケルで手中にしたのを含めて、2000ギニーが3勝。85年にスリップアンアーで制したのを皮切りに、リファレンスポイント(87年)、コマンダーインチーフ(93年)、オース(99年)と、英国ダービーが4勝。オークス8勝、1000ギニー6勝、セントレジャー4勝を加えて、英国クラシック25勝。これに愛ダービー2勝、愛オークス3勝など英国以外のクラシック9勝を加えると、手にした3歳クラシックの数は34に達する。さらにキングジョージ3勝、チャンピオンS4勝など、数多のタイトルを獲得してきただけでなく、イギリスでリーディングトレーナーの座に就くこと10回という、英国競馬史でも稀有の功績を残してきたことが認められての叙勲となった。

 長年頑張ってきた調教師さんに、ナイトの称号を贈って報いてあげるのが、イギリスという国なのである。

 ヘンリー・セシルに関して、筆者の記憶に鮮烈に残っているのが、07年のオークスをライトシフトで制した後の、表彰式における光景である。

 英国競馬界の帝王として君臨してきたヘンリー・セシルだったが、90年代終盤から10年近く、その成績が大きく落ち込んだ時期があった。

 不振の背景には、いくつか理由があって、まずは95年秋、オーソーシャープによる牝馬三冠達成をはじめ、数々の栄光をともにしてきたシェイク・モハメドと、些細なことをきっかけにして対立。シェイク・モハメドの所有馬すべてが転厩になるという事件が起きた。

 この時期、2度目の離婚を経験したが、原因として厩舎主戦騎手と妻との間に不倫を噂され、心に大きな傷を負うことになった。

 さらに00年11月、双子の弟デヴィッドを病気で亡くなった。双子の兄弟が生まれる以前に、空挺部隊に所属していた父がパラシュート事故で他界。父の顔を知らぬ者同士、助け合って生きてきた弟の早世は、ヘンリーにとって大きな痛手となった。

 00年6月にビートホロウでパリ大賞典を制したのを最後に、頻々と重ねてきたG1制覇の記録がピタリと途絶え、セシル厩舎は大レースと縁遠くなった。

 01年にはリーデイングトップ10の座から脱落。転がり出すと瞬く間に勢いを増すのが下り坂で、05年には年間収得賞金わずか14万5千ポンドで、97位にまでランキングを落とすことになった。かつては200頭を越えていた管理頭数も、60頭を切るまでに減少した。

 ネクタイはエルメスで、靴はグッチ。スタンド最上階に立ち葉巻を燻らしながら馬場を見降ろすのが定番だった「帝王セシル」は、見る影もなくも凋落した。

 そして07年のシーズン開幕前、ヘンリー・セシルは自らが癌に侵され、治療を行っていることを公表。

 ヘンリー・セシルの時代は終わったと、誰もが思った。ところが、そこからヘンリー・セシルは再び戦線のトップへと還ってきたのである。

 復活への兆しが見え始めたのは、06年シーズンの後半だった。8月に管理馬マルチダイメンションが仏国のG2ギョ−ムドルナーノ賞を制して、厩舎として4年振りの重賞制覇を果たすと、11月には2歳牝馬パッセージオヴタイムがフランスのG1クリテリウムドサンクルーを制して、6年5カ月振りのG1制覇を達成。

 そのパッセージオフタイムが07年5月に、オークストライアルのG3ミュージドラSに優勝。さらに同世代の牝馬ライトシフトがLRチェシェアオークスを制し、2頭出しで臨んだのが、07年のオークスだった。

 癌と闘いながら仕上げた2頭の牝馬のうちの1頭、ライトシフトで8度目のオークス制覇を果たした後のことだ。帰ってきた伝説の調教師に、スタンドのファンから称賛の気持ちを込めた「スリー・チアーズ」が贈られた。イギリスの競馬場でこういうコールが起きるには、極めて異例である。

 はにかんだような笑顔を浮かべ、軽く頭を下げたセシル。ここ10年ほどの自らを振り返り、さすがに込み上げてくるものがあったようだ。こぼれる涙を必死でこらえようと、頬の筋肉をひくひくと痙攣させていたヘンリー・セシルの面差しは、今も多くの競馬ファンの記憶に、鮮明に残っているはずである。

 どうやら健康を取り戻した様子の「サー・ヘンリー・セシル」。今後も随所で、その存在感を誇示する活躍を見せてくれるはずだ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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