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曾和先生はホンマに厳しかった…

  • 2011年09月06日(火) 18時00分
 ジョッキー生活27年目を迎えた小牧太騎手が、自身のルーツから競馬観、そして騎乗論までを語る、新連載『太論』がいよいよスタート! 記念すべき第1回目となる今回は、中央競馬初参戦の思い出から、“騎手・小牧太”の原点である修業時代までさかのぼります。

──2004年に園田から中央に移籍されて、早いもので7年半が経ちました。

小牧 あっという間やね。なんか、年だけ取ったような(笑)。でも、精神的にも肉体的にも、全然衰えた気はしませんね。

──移籍した当時と現在で、気持ちの上で変わったところはありますか?

小牧 最初の1、2年は、どうもうまくいかなくてね。GIも勝てなくて、悩んでいたというか、焦る気持ちがありましたね。でも、5年目に桜花賞(レジネッタ)を勝つことができて、ひと区切りがついたというか。やっぱりGIを勝つことを目標にJRAに入ってきたんでね。勝ててホッとしたし、なにより気持ちが落ち着きましたね。今は競馬に対してもすごく落ち着いて向き合えてるし、幸せだなぁと思いながら乗れるようになりました。

レジネッタでGI初制覇

──大きな大きなGI初勝利でしたね。

小牧 ホンマにねぇ。園田では300勝とかしてたわけだから、どうしても周りの期待が大きくてね。それに、(中央に移籍したのが)安藤さんの次だったでしょ。その安藤さんは、1年目からGIを勝たれて、勝ち鞍の数もすごくて。僕も中央に行ったら、それくらい活躍ができるんだろうなって、今思えば、すごく甘い考えで入ってきてしまったから。

──中央に初めて参戦されたのは、移籍される11年前。93年3月のヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップ(92〜96年に中山競馬場で施行された国際若手騎手招待競走)への参戦でしたね。中央競馬の第一印象は?

小牧 芝のレースに乗ったのも、あんなに広い馬場で乗ったのも、あんなに大勢のお客さんの前で乗ったのも初めてでしたからね。だから、なんかもう…、今までの自分はなんやったんかなって。中央と地方のギャップをすごく感じて、同じ競馬でもこんなところがあるんだ…っていうのが、率直な印象でしたね。

──その前の年に、初めて兵庫でリーディングを獲られて。ジョッキーとして、脂が乗り切っていた時期ですよね。

小牧 今思えばそうやね。怖いもの知らずで、俺が一番うまいんじゃないかっていう気持ちでいた時期かもしれない。それもあって、同じ競馬に乗るんだったら、こういうところ(中央)で乗りたいと思ってね。所属していた厩舎の曾和先生に、はっきりと「地方を辞めて中央を受けたい」って言ったんです。でもまぁ、今のような制度がない時代だったので、言ったところで無理だったんですけどね。でもそれくらい、真剣な気持ちになったのを覚えてます。

──小牧さんのそういう気持ちを聞いて、曾和師はなんておっしゃったんですか?

小牧 「こっち(園田)で頑張っていれば中央に乗りに行けるチャンスもあるんだから、こっちで頑張れ」って説得されました。さっきも言ったように、今のような制度のない時代ですからね。“たしかにそうだな。園田で頑張ろう”と、気持ちを切り替えました。

──小牧さんのベースを作ったのは、ほかでもないその曾和直榮師であり、園田競馬ですよね。今回は連載の第1回目ですので、騎手になった当時のお話などもお聞きしたいのですが。

小牧 15歳でひとりで九州から出てきてねぇ。曾和先生の家の2階に住まわせてもらって。最初の半年は厩舎作業をやって、それからハダカ馬に乗るところから始めてね。いや〜、ホンマに厳しかった。先生も、先生の奥さんもね。窓拭きとか、畑仕事の手伝いとか、庭の掃除とか、当時は“なんでこんなことせなアカンねん”って思ってました(笑)。ご飯もあまり食べさせてくれんし。

──15歳といえば、育ち盛りですものね。でも、ある意味、騎手を目指す子の宿命というか…。

小牧 そうだね。とはいっても、お腹がすいてすいてたまらなかった。曾和先生自身、最初は騎手を目指していたらしいんですよ。でも、さぁ騎手の試験を受けようかというときに、体が一気に大きくなってしまったようで。だから、僕がいくら小柄でも、あんまり食べさせんようにって思ってくださっていたみたいでね。でも、僕からしたら、もうお腹がすいてすいて(笑)。

「もうお腹がすいてすいて(笑)」

──そうですよね。空腹との戦いは中央のジョッキーも、誰もが競馬学校時代に経験するそうですからね。

小牧 そうやろね。僕はね、先生の奥さんが買い物に行ったのを確認してから、冷蔵庫のなかを漁ってね。でも、全部バレてたみたいで、最後はお菓子も全部隠されたからね。僕は僕で、それでも探すねん(笑)。ホンマによう隠れて食べてたわ。今でも覚えてるのは、先生の部屋で北海道土産のチョコレートを見つけてね。食べたくてしょうがなくて、ちょっとずつ端っこのほうからバレないように食べてたんだけど、ある日とうとう、バレバレやん!っていう状態になってしまって(笑)。もうアカン、全部持って行っちゃえ!って、持って行っちゃったもんね。そしたら先生に呼ばれて「食べたやろ!」って、それはもう怒られて。

──食べてない! って言い張ったんですか?

小牧 いや、「食べました…」って、正直に白状したよ(笑)。子供やったね。

──なんだか、当時の小牧さんの奮闘ぶりが目に浮かびます(笑)。それにしても、小牧さんがデビューされた当時は、田中道夫さんをはじめ、偉大な先輩ジョッキーがたくさんいらした時代だったそうですね。

小牧 そうですね。僕自身は、リーディングジョッキーになりたいとか、一生懸命技術を磨こうとか、そういう気持ちがあんまりなかったんだよね(笑)。デビューした年に新人賞を獲らせてもらったんだけど、当時の目標も、ベスト10に入ることだったんですよ。

【次回の太論は!?】
デビューして数年は『リーディングジョッキーになりたいという気持ちはなかった』という小牧騎手。しかし、4年目を迎えたある日、そんな小牧騎手の闘志に火をつけた、あるジョッキーとの再会がありました。次回は、転機となったそ再会から、リーディング奪取までの秘話をお届けします。
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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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