デビューした年に新人賞に輝きながらも「リーディングジョッキーになりたいなんて思っていなかった」という小牧騎手。しかし92年、デビュー8年目にして、堂々リーディングジョッキーの座に。はたして小牧騎手の闘志に火をつけたものはなんだったのか──。リーディング奪取までの軌跡に迫ります。
──デビューした当時は、リーディングや技術の向上などにあまり興味がなかったとのことですが、そんな小牧さんの闘志に火をつけたものはなんだったんですが?
小牧 4年目くらいだったかな。競馬学校で同期だった尾林くん(尾林幸二元騎手・現在は園田競馬所属の調教師)が、中津競馬場から園田競馬場に移ってきたんですよ。競馬学校時代は僕のほうがうまかったのに、すごくかっこよく乗るようになっていて。乗り方のこととかいろいろ考えながら、ちゃんと結果も出しててね。そんな彼を見て「俺、こんなんじゃアカンな…」と思って、乗り方を研究し始めたんです。同期で仲が良かったから、ホントに刺激になりましたね。
──過去の成績を拝見すると、たしかに尾林さんが園田に移籍された翌年から、勝ち星が伸びてますよね。
小牧 そうだね。それと、もうひとつきっかけになったのが、エストウインっていう牝馬で活躍できたことかな。アラブの小柄な牝馬で、追い込み馬だったんだけど、その馬には本当にいろいろ教えてもらった。それからかなぁ…、徐々に勝ち星が伸びていったのは。
──当時の園田は、田中道夫さんの天下でしたよね(91年まで14年連続リーディング)。小牧さんにとって、田中道夫さんはどんな存在でしたか?
小牧 89年のワールドスーパージョッキーシリーズを観たんやけど、そこで道夫さんが2位になって。ああ、園田にもこんなにすごいジョッキーがいてたんやと思ってね。年もすごく離れていたし、あの当時の人って、今の人より老けて見えたでしょ(笑)。だから、僕から見るとホントに“オジサン”で、そういった意味でも大先輩以上の存在でしたね。まぁ、僕も今、若い子にそう思われてるのかもしれないけど(笑)。
──とはいえ、デビュー8年目の92年には、その田中道夫さんと最後の最後まで競り合った末に、ついにリーディングを獲られて。
小牧 まさか僕が…ね。それまで、道夫さんを負かせるなんて、まったく思ってなかったから。負かすとしたら、僕じゃなくて、ほかの人だろうと思ってた。しかも、僕にとっては初めてのリーディング争いでね。今でも覚えてるけど、12月に入ってから僕、腰痛を患ってしまって。でも、道夫さんを負かせるかもしれないっていうことで、周りからは「なんとかして乗れ」って言われてね。ある日、1レース目からグリグリ本命に乗っていて、痛み止めの注射を打って、なんとかレースは勝つことができたんやけど、ゴールしたところでそのまま動けなくなってしまってね。
──馬の上でですか?
小牧 そう、馬に乗ったそのままの姿勢で。なんとかみんなのところまで戻って行ったんやけど、馬から下りられなくてね。で、みんなに抱えられて下りて、そのまま病院に(笑)。それから3日間くらい、寝たきり状態でね。
──リーディング争いの最中ですから、さぞかし気持ちが焦ったでしょうね。
小牧 いや、それよりとにかく痛くて。結局、背骨の何番目かがズレていたみたいで、トイレにも這って行っていたくらいだからね。でも、僕が休んでいる間に、道夫さんが騎乗停止になったんですよ。それで、僕も半ば無理矢理に乗り出してね。そんな経緯があって、リーディングジョッキーになれたんです。それまで体のケアなんてしてなかったんだけど、それ以来、腰に疲れが残らないようにマッサージをしてもらったり、体をケアすることを心がけるようになって。つらかったけど、いいきっかけになったし、今となってはいい思い出ですよ。何十年も前のことやけど、はっきりと覚えてるもんね。
【次回の太論は!?】
92年、名手・田中道夫騎手とのデッドヒートの末、見事リーディングの頂を極めた小牧騎手。しかしそこから、トップに立ったがゆえのつらい日々が始まりました。次回は「心を鬼にして…」と振り返る、常勝時代の苦悩と葛藤の日々に迫ります。