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菅原勲騎手インタビュー前編

  • 2011年10月04日(火) 12時00分
10月10日(祝月)は「岩手競馬を支援する日」。ということで、今年の南部杯は東京競馬場で行われます。そこで今回は、岩手競馬の雄・菅原勲騎手を直撃。トウケイニセイやメイセイオペラなどの名馬秘話から、まさかの重大発表も飛び出します。

◆見えない再開に向けて

赤見 :毎年盛岡競馬場で行われている交流重賞の南部杯ですが、今年は姉妹競馬場であるJRAの東京競馬場で行われるということになりました。

菅原 :そうだね。南部杯は盛岡競馬場で一番盛り上がるレースだからね。本当はやっぱり、地元でやってほしいのもあるんだけど、今年は震災があって岩手競馬も大変で、JRAに協力してもらうというで。いろんなイベントも行われて、盛り上げてもらうのは本当にうれしいことだよね。

赤見 :そうですよね。

菅原 :それと、南部杯を東京競馬場でやれば、来年からは地元でやるにしても知名度がたぶん上がると思うのでね。そういうレースが盛岡競馬場であるということを分かってもらえれば、そういうふうに考えればいいんじゃないかなと思うね。

赤見 :そうですよね。これまで知らなった方にも知ってもらうチャンスですよね。また当日は、メイセイオペラやトーホウエンペラーといった菅原騎手ゆかりの名馬を記念したレースも行われるということですが、菅原騎手、メイセイオペラでは東京競馬場で去年。

菅原 :ああ(笑)。恥ずかしかったけど、いい思い出だよね。

赤見 :メイセイオペラでの思い出のレース、フェブラリーSで誘導馬に乗られて。あの時は似合っていました!

菅原 :いやあ、なかなか誘導馬になんて乗れないし、やっぱり何万人のファンの中でね、結構声援も聞こえて、うれしかったです。

赤見 :本当、普段だったらレースに乗っていますから、絶対に誘導馬には乗らないですもんね。

菅原 :そう。なかなかおもしろかったですよ。

赤見 :あれは一番盛り上がりました。さて、今では震災前と同じように競馬が行えていますが、岩手競馬の再開までには時間もかかったりと、ご苦労があったかと思います。震災当時のお話をお聞きしたいんですけれども、地震がおこった時というのは? 競馬の開催はない日でしたよね?

菅原 :ええ。あの日は家にいて。で、すごく揺れて。今までにないくらい揺れて、停電にもなって。テレビも全然見られなかったので、これほどすごいことになっているというのを知ったのが2時間とか3時間後で。びっくりしましたよね。

赤見 :その時は何で情報が入ってきたんですか? テレビがついた?

菅原 :いや、停電は2日くらい続いたので。その時は車に乗って、車のテレビを見た時だね。こっちは内陸なのでそれほど周りも被害というのはなくて。停電だけかなと思っていたら、情報が入ってきてね。あれだけひどくなっているというのは、分からなかったです。

赤見 :ああ。じゃあ、どんどんどんどん時間が経つにつれて、被害の大きさというのも。岩手競馬の関係者の方々は大丈夫だったんですか? 水沢競馬場は結構大きな被害を受けたということですが?

菅原 :うん、スタンドがね。でも、厩舎は大丈夫だった。だから調教はしていたんだけどね。ただ、震災が起きたのが、3月の競馬があと1週間くらいで始まるというところだったので。まさか中止になるくらいひどいとは思わなかったんだけど、何日かして「ああ、これは競馬どころじゃないな」と思って。

赤見 :ああ。

菅原 :それで、3月は競馬がなくなって、4月も開催がなくなって、その時は不安でしたね。競馬がこのままできないんじゃないかって。

赤見 :そうですよね。本当にあの…いつ再開できるのかって。

菅原 :うん。ちょっと見通しが立たなかったよね。

赤見 :そういう中でも、調教はずっとされて。

菅原 :調教はね、やっぱり毎日していて。いつ開催できてもいいようにはしていたんだけど、なかなか決まらなくてね。あの時はみんな、関係者も不安でしたよね。まあ自分だけではどうしようもないことだから。決められないから。でも、本当に再開できるのか不安だった。

赤見 :その間、ポニーを連れて被災地に行かれたり、炊き出しをされたり、活動をされていましたよね。

菅原 :そうだね。炊き出しとかも結構、被災した方たちには喜んでもらったんだけど。あと、騎手たちでボランティアにも行って。家の中の泥さらいというかね、そういうのもやって。何回行ったのかな? 2回か3回行ったんだけど、もっともっと、何回も行かないとだめなんだなと思いましたけどね。ボランティアがまだまだ足りないというかね。結構、ここの騎手たちはみんな、そういうのに賛成してくれて、積極的にすぐ行ってくれたんだよね。

赤見 :じゃあ、競馬ができるのか不安な気持ちもありつつ、ボランティア活動もされて。

菅原 :ですね。自分たちの競馬もどうなるか、ちょっと不安なところではあったんだけれども、被災地の方たちはもっと大変だということで。

赤見 :実際、競馬の再開が決まった時はどんなお気持ちでしたか?

菅原 :まあ、一安心というかね、ようやく始まると。ただやっぱり、ギャンブルという部分があるので、何というの、周りが本当に競馬を認めてくれるのか、ちょっと不安な部分はあって。でも、全国のファンの方たちが応援してくれたので、それが励みになったしね。

赤見 :あの時、全国の署名活動もすごく展開が早かったですよね。

菅原 :そうだね。全国のファンの方たちの協力がうれしかったです。すごくみんな応援してくれて。だからやっぱり、自分達も競馬で良いレースをしてみんなを勇気づけるというか。そういう部分ではやって良かったなと。

赤見 :実際レースに乗られたら、また実感されたんじゃないですか?

菅原 :うん。レースに乗れたのが本当にうれかった。「競馬ができる」という思いが、本当にみんなにも、見ている方にも伝わったんじゃないかと思うよね。今もみんな一生懸命やっているし、売上も順調にいっているみたいだから、一安心というか、このまま一生懸命やっていくことが大事なのかなと思っています。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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