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菅原勲騎手インタビュー中編

  • 2011年10月05日(水) 12時00分
南部杯を過去5勝と、歴代最多勝利を誇る菅原勲騎手。中でも、93年94年で連覇したトウケイニセイと、98年に勝利し翌年にはJRAのGIフェブラリーSも勝ったメイセイオペラの話ははずせません。名馬伝説を振り返ります。

◆メイセイオペラ伝説

赤見 :これも震災に関係することですが、菅原騎手が主戦を務めた名馬・トウケイニセイが、オーナーが被災されて飼育が困難になってしまったということで、「トウケイニセイ基金」を立ち上げられたという。

菅原 :馬主さんが被災して、それで馬主さんも大変になってしまったので、全国から募金してもらって、それで余生を送れるようにしようということでね。

赤見 :馬主さんはトウケイニセイをずっと手元に置いて、余生を過ごさせていたんですよね。それはなかなか簡単なことではないですもんね。愛が深いなと。

菅原 :そうだよね。全国から募金してもらって、結構たくさん集まったんだよ。もう3年か4年分は集まって。

赤見 :すごい! 先日、そのお礼ということで、トウケイニセイが盛岡競馬場でお披露目されました。ファンの方が一緒に写真を撮ったりして、あれはいいですよね。競馬場で久々に再会していかがでしたか?

菅原 :一昨年に水沢にも1回来て、その時は「歳をとったな」という感じだったんだけど、今回見たら若返っていたね(笑)。あれ、何歳くらいになったんだ? もう24歳か。

赤見 :24歳ですか。菅原騎手にとっても、この馬はかなり思い出の深い馬ですか?

菅原 :ですね。俺にとっては一番の思い出の馬なので。一番と言ったらね、メイセイオペラもいるけど、自分が騎手になって乗れるようになったのが、この馬との出会いからだと思うので。一番思い出はありますね。

赤見 :菅原騎手にとっては先生というか、教えてくれたことも。

菅原 :そうです。本当にこの馬に出会わなかったら、今がなかったところはありますね。結局、トウケイニセイに出会って、トウケイニセイに乗って、いろいろな大きいレースも勝って、それがあったからメイセイオペラでも勝てたという感じで。

赤見 :岩手では16戦13勝、南部杯も連覇して、地元では敵なしでした。もうちょっと早くダートグレード競走が整備されていたら…というところが。

菅原 :ああ、あの頃に交流レースがあったらね、たぶんいい勝負をしてくれたと思うんだけど。ちょうど交流レースが始まるかどうかの境くらいだよね。

赤見 :はい。もしその当時に交流競走があったら、また違うふうになっていた可能性もありますよね。そういう馬ですから、本当に幸せな余生を送ってほしいですね。なかなかこう、地方で活躍して一生懸命がんばってくれた馬がいい余生を過ごすというのも。

菅原 :なかなかないでしょうね。これからもね、ゆっくりゆっくり休んでもらいたいと思います。

赤見 :そのトウケイニセイで93年94年連覇した南部杯ですけれども、菅原騎手は南部杯を過去5勝もされています。その中でも、特に印象深い南部杯と言いますと?

菅原 :やっぱりメイセイオペラでしょうね(98年。ダートグレード競走になってから、初めて勝った地元馬)。やっぱり、なかなか中央の馬に勝つというのはね。南部杯とかダービーグランプリとかいろいろな交流レースがあるけど、まず勝てないからね。

赤見 :難しいことですよね。

菅原 :でも、その中でレコード勝ちだったので。あの時はうれしかったね。

赤見 :やっぱりメイセイオペラはすごいですよね。本当、メイセイオペラがフェブラリーS(99年)を勝った時は、高崎競馬場で号泣しました(※当時赤見千尋さんは、高崎競馬所属の現役騎手)。本当に感動しました。それほどの馬だから、アブクマポーロに負けた時はすごくショックだったんです。

菅原 :そうか。最初は、アブクマポーロには結構負けていたもんね。川崎記念(98年)で負けて、帝王賞、東京大賞典でも。その時は、力が全然違うという感じだったもんね。

赤見 :そう考えるとメイセイオペラって、ものすごく強くなっていったんですね。

菅原 :うん、どんどん成長していった馬だね。だから、最初から強かったわけじゃないんだよ。2歳(現表記)の頃、俺は乗っていなかったから分からなかったけど、負けていたんだよね。だからメイセイオペラ自体、最初はあんまり記憶にないというか。

赤見 :ええっ、最初ですか(笑)?

菅原 :最初(笑)。で、2歳(現表記)の本当に最後のレースに一度だけ騎乗して、その時に4馬身離して勝って、「ああ、走る馬なんだな」って思いましたけど。まあ、これほどになるとは思わなかったけどね。

赤見 :どのあたりで「あれ、この馬は…」って思われたんですか?

菅原 :3歳(現表記)の夏ですね。東北優駿って、新潟競馬場でやったんだけど、その時もぶっちぎりましたから。「やっぱり強いな」と思ったよね。

赤見 :変化としては、どの辺が変わってきたんですか?

菅原 :体だね。450kgくらいだった馬が、最終的に500kgになって。50kg違いますからね。どんどん成長していったし、相手が強い交流レースに出ても、最初は負けていたけど、やっぱりそれなりに対応できるようになっていったもんね。

赤見 :そうやって強い馬と戦って、中にはガクっときちゃう馬もいるじゃないですか。そこは精神的にも。

菅原 :うん、やっぱり精神的に強かったんでしょうね。負けて、ガタガタって全然通用しなくなったりする馬は結構多いんだけど、どんどんどんどん通用するようになっていったからね。

赤見 :それでJRAのGIまで勝ってしまうんですからね。すごいですよね。そういえば、この前、韓国でメイセイオペラに会って来たんです。

菅原 :あっ、会いました? 俺も会いに行ってみたいんですよね。

赤見 :そうなんですか! すっごく元気が良かったです。雪の中を駆け回っていました。内田利雄騎手がメイセイオペラの仔で韓国の重賞を勝たれたじゃないですか。あの馬も見たんですけど、似ていました。栗毛で流星も似ていて。やっぱり似ているなと思いました。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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