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ウインバリアシオン・竹邑行生厩務員インタビュー前編

  • 2011年10月18日(火) 12時00分
史上7頭目の三冠制覇を狙うオルフェーヴル、そこに待ったを掛けるライバルたち。その筆頭がウインバリアシオンです。担当の竹邑行生厩務員は名門・瀬戸口勉厩舎でラインクラフトを手掛けた腕利き。ラスト一冠、譲れない戦いに迫ります。

◆入厩時は不安いっぱい

赤見 :ウインバリアシオンは、出会った頃はどんな馬でしたか?

竹邑 :入厩してあくる日の調教ですごく躓いて。入厩前に、先生と中山助手と当時あんちゃんだった今ジョッキーの森一馬と3人で牧場に乗りに行きはったんです。そこで調子が良かったので入厩させたんですけど、あくる日の調教で「こけるん違うかな」というくらいに躓いて。もうね、2、3歩歩くたびに躓くという感じで。

赤見 :そこまで!?

竹邑 :うん。お宅も馬に乗っていたから分かるでしょうけど、怖いでしょう? 中山助手も乗っていて「怖いわ」って。膝つくん違うかなっていうくらい、ひどかったんですよ。

赤見 :そんな状態で新馬戦(10/8/1、小倉芝1800m)はあんなに強かったんですか? だって、ほとんど追わないで。

竹邑 :そう。まあ、調教していったら徐々に「いいんじゃないかな」という感じで、追い切りも順調に行ったんですけどね。

赤見 :初戦を勝って、福永(祐一)さんが「初戦向きとは思っていなかったけど、強かった」ってコメントされていました。

竹邑 :そうなんです。馬場入場の時に「竹邑さん、この馬緩いから初戦向きじゃないですよ」って言うので、「ええよ。でも知らんぞ、(1番人気で)ファンを裏切って」って。それで勝ったので「お前、勝ったやんけ」って言ったら、「強い、強い!」って。まあ、うれしかったんやけどね(笑)。

赤見 :続く野路菊S(10/9/19、阪神芝1800m)も勝って、デビュー2連勝。

竹邑 :この野路菊Sを勝って「強いな」っていう実感がして来ましたけど、まだ半信半疑でしたね。何しろ出来上がってレースに出して勝ったというんやったら「ああ、やっぱり強いんや」って思うんですけど、何か、馬が頼りなさそうな感じじゃないですか。こうやって、のそ〜っと歩いて。

赤見 :たしかにそうですね(笑)。

竹邑 :しかも、躓くし。「ほんまに信用してええんやろうか?」って。あとはテンションです。この野路菊Sの時は、立ち上がるわ吹っ飛んで行くわの大騒ぎやったんですわ。

赤見 :テンション高い時もあるんですか!? ダービーの朝に運動を見させてもらったんですけど、あの時はすごくおとなしかったです。

竹邑 :あれはオフの時。オンオフの差が激しいんですね。野路菊Sではそんなんで、ケガさせたらあかんなということで、装鞍所の馬房の中に入れたんです。そうしたら落ち着いて、それからはもうおとなしかったんです。

赤見 :オンとオフがあるんですね。この馬のイメージからしたらちょっと意外でした。それで、3戦目のラジオNIKKEI杯(10/12/25、阪神芝2000、4着)までは3か月間隔が空きましたが。

竹邑 :朝日杯FSは使わないでラジオNIKKEI杯一本で行くということで、短期放牧に行ったんですけど、それでもやっぱり同じでしたわ。躓くのはだんだん良くなって来ましたけど、オンオフの激しさは相変わらずで。

赤見 :この頃からレースでちょっと行きたがるような素振りも?

竹邑 :そう。ちょっと引っかかるんではないかなという感じでね。それでレースでメンコを付けたり、あとはハミも変えてみました。Dバミのちょっと長めのものなんですけどもね。またその頃、祐一がいろいろ教えてくれよったんですわ。

赤見 :調教でですか?

竹邑 :うん。角馬場で30分くらいつきっきりで。バックさせてみたり、8の字を描いてみたり、何やかんやと教えてくれていたんですよ。それを見ていて「はよ調教終われや」って思いつつ(笑)。でも、そうやって教えてくれよって、それが良かったんですよね。

赤見 :そういう成果もあって、青葉賞(11/4/30、東京芝2400m)で重賞勝利。野路菊S以来の勝利でしたね。

竹邑 :そうですね。それまでって、4着4着7着で成績が伴わなかったでしょう? いろんなことを言われました。でも、終いは堅実に来ているんです。エンジンがかかるのが遅くて届かなかったっていうだけで、ようがんばっとるん違うかなと、僕はそういう評価をしていたんですけどね。

赤見 :どうしても着順ばっかり。

竹邑 :そうそう。どうしてもそっちが優先ですからね。またその時は、爪が一番のネックやったんですよ。爪が割れてレースを使えるか使えないか、というくらいでしたので。そればっかり心配していました。

赤見 :それは皐月賞に出たいというのがあったから?

竹邑 :そうです、そうです。だからどうしても、無理したくなるじゃないですか。どうにかして権利を獲りたいし。もう僕は必死でしたよ。皐月賞に出たいもんですからね。裂蹄との駆け引きでした。

赤見 :そうだったんですね。でも皐月賞に出なかったことが、逆に良かった面も?

竹邑 :まあ、結果的には良かったのかもしれませんね。無理して皐月賞を使って、ダービーも棒に振るということもあったかもしれませんし。あの時先生は「もう皐月賞は無理。出られん。放牧」っておっしゃって。「いや先生、もうちょっと待っとこうな。抽選で選ばれるかもしれませんよ」って言ったんですけど、「無理無理」って、すっと放牧になさって。

赤見 :早めに休ませる決断を。

竹邑 :うん。先生は、まず爪を良くせなあかんやろうというので出してくれはったんですね。それで帰って来て、青葉賞の時はどうもなくて。調教も順調に出来ました。

赤見 :放牧がいい方に出たんですね。それにしても、青葉賞のあの直線はすごかったですね。だって、4コーナーを回って来る時はまだ後方で。

竹邑 :そうそう。外からバーッと伸びて来た時の安藤さんの風車鞭、あれが効いたね。思わず1人で叫びました。「*+▼☆×▽□*!!」って(笑)。

赤見 :あははは(爆笑)。

竹邑 :競馬の時は僕の近くに来たらだめなんですよ。こういう接戦だと、うるさいぐらい叫びますから。もうね、あの時は鳥肌ギンギンでした。ほら、思い出したらまた鳥肌立ってきたもん。駄目なんやから。感無量になるとこうやって鳥肌立つんですよ。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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