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フロリダ高気圧酸素治療施設で爆発事故

  • 2012年02月15日(水) 12時00分
 2月10日(金曜日)午前9時過ぎ、フロリダ州オカラにある競走馬診療所「ケズマーク・エクワイン・リハブセンター」で、競走馬用の高気圧酸素治療施設が爆発。治療中だった馬と、診療所のスタッフ1名が死亡。別のスタッフ1名が重傷を負うという痛ましい事故があった。

 警察の発表によると、亡くなられたのは、エリカ・マーシャルさん(28歳)。重傷を負ったソーシャ・モネリーさん(33歳)は、ヘリコプターでクレインズヴィルのフロリダ大学病院に搬送されて治療を受けているが、重篤な症状と伝えられている。

 死んだ馬は、ランドマークスレジェンダリーアフェアという名前の競技馬術用の馬。高気圧酸素治療を受けている途中で暴れ出し、壁を蹴りはじめたため、治療を休止すべくスタッフが装置をオフにしようとした矢先に爆発は起こった。高酸素治療施設が入っていた建物の脇には大きな穴があき、破片は直径150フィート(約45m)四方に散乱しているという。

 2002年のサッカーワールドCをきっかけに、広く世に知られることになったのが、高気圧酸素治療だ。イングランド代表のキャプテン、デヴィッド・ベッカムが、開幕をわずか2か月後に控えた試合で相手選手のチャージを受けて、左足甲を骨折。全治10週間と診断され、ワールドC出場は絶望と見られた。だが、当時所属していたマンチェスター・ユナイテッドの医療チームが総力を結集して治療にあたった結果、ベッカムはわずか3週間でチームに復帰。イングランドのベスト8進出に貢献することになったのだが、この時、治療のキーポイントと言われたのが「高酸素カプセル」だった。

 密封されたカプセルの中に横たわり、高濃度の酸素を吸収するのが高酸素治療だ。血液に溶け込む酸素量を増やすことによって、心臓や脳を含む体内組織に供給される酸素が増え、これが様々な効果を生み出すと言われている。元来は潜水病治療のために開発された技法だったが、その後、急性ガス中毒や、心筋梗塞、脊髄障害、脳血管障害などの治療にも有効であることが判明して実用化された他、スポーツ外傷の治療にも効果があることが判って、トップアスリートたちの間で認知度が上昇。日本でも、早実高校のエースだった頃の斎藤祐樹投手が、酸素カプセルに入ることで連投の疲れを癒し、夏の高校野球で優勝。体内に取り込まれた酸素は、疲れの要因である乳酸を分解することから、これは確かに効果があるはずと、おおいに話題となった。 

 高酸素治療はその後、血流を良くすることから、成人病の予防にも効果があると言われたり、有酸素運動を行なったのと同じ効果が期待できることから、ダイエットにも有効と言われるなど、様々な効能が指摘されることになった。また、酸素カプセル内でとる1時間の睡眠は、入らないでとる4、5時間の睡眠に相当し、アンチエージングにも効果があるとの説まで流布され、高気圧酸素療法は一般市民の間にも浸透。通称「ベッカムカプセル」と呼ばれる高酸素カプセルを置くサロンが各地にオープンすることになった。

 競走馬もアスリートであるゆえ、高気圧酸素治療が有効であるとの気運が高まるまでに、それほど時間はかからなかった。カプセルに馬を収容することは出来ないので、高気圧が維持できる小部屋が設計され、ここに馬を入れて高酸素治療を施せる施設が、カリフォルニアやフロリダに完成。腱組織の再生や腫瘍の治癒が早まるなどの効果の他、疝痛の兆候を見せた馬を入れると大事に至らずに済むといった例が報告され、一般化していった。

 今回事故のあったケズマーク・エクワイン・リハブセンターは、ケンタッキーにあるケズマーク・エクワイン・スポーツ・メディシン&リハビリテーション・センターの分場として、2009年にオープン。10万平方フィートの敷地内には、75頭を収容出来る馬房、室内プール、ウオーター・トレッドミル、屋内馬場などの他、縦10フィート・横12フィートの高酸素治療室が設えられていた。

 なぜ今回、そこで爆発が起きたのか、原因はまだ特定されていない。

 高酸素カプセルの爆発は、これまで例が無かったわけではなく、最近では2009年に同じフロリダで、4歳の男児を治療中だったカプセルが爆発。男児と、付き添っていた母親が死亡する事故が起きている。

 高い濃度の酸素は燃えやすいため、高酸素カプセルには、マッチ、ライター、たばこ、カイロなど、発火性のあるものは持ち込まないのが原則となっている。今回の場合は、馬が暴れた際に、内部で発火を誘発する何らかの事象が起きたものと見られている。

 最新治療に落とし穴があるのだとしたら、原因の究明が待たれるところだ。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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