▲JRA福島競馬場・小林雅嘉氏
東日本大震災から1年、今春4月7日福島競馬が1年4か月ぶりに再開します。そこで今回は、JRA福島競馬場・お客様事業課長補佐の小林雅嘉氏をゲストにお招き。震災直後の様子や再開までの道のりを伺います。力強く前進する福島競馬の息吹を感じてください。
『ホワイトボードのありがとう』
赤見 :4月7日の再開に向けて、スタンドも完成に近づいていますね。福島競馬場は1年前の東日本大震災で、スタンドの損壊や原発の影響などの被害を受けました。当日の様子からお聞きしていきたいのですが。
小林 :あの時は、競馬場事務所1階の自分の席にいました。携帯電話の地震速報が鳴って、「何かな?」と思ったら揺れ始めて。今回は、揺れ自体も大きかったのですが、揺れている時間が長かったんです。私は学生の時に阪神大震災も経験しておりまして、揺れはその時の方が大きかったですが、長さは今回の方がありました。
赤見 :事務所建物に被害は?
小林 :幸い事務所は、壊れたところはあまりなかったです。それで、まずはみんなの無事を確認して、それから競馬場のスタンドの様子を見に行ったんです。スタンドは事務所から通りを挟んだ向かい側にあるのですが、行ってみてびっくりしました。あそこまで壊れているとは。しかも当日は、競馬開催日の前日で。
赤見 :3月11日(金)14時46分ですから、開催の準備をされていた頃でしょうか。
小林 :ええ。開催日前なので、馬券を売る機械の保守をするために、スタンドの上層階まで人が入っていたんです。私の仕事は広告やプロモーションの他、馬券の発売に関することも担当しておりますので、その人たちの安否が一番心配でした。翌日、被害状況の確認のためにスタンドに入っていったのですが…、ぞっとしましたね。エレベーターが止まっていたので階段で上がって行ったんですけど、階段の壁も崩れていまして。
赤見 :上の階は特に被害が大きかったそうですね。5、6階の天井が落ちたと伺いました。
小林 :はい。見た瞬間、「これは大変なことになったな」と思いました。それでも、怪我人はいなかったんです。それにはホッとしました。あれだけ壊れたのに全員が無事だったというのは、不幸中の幸いだなと思います。
赤見 :本当ですね。JRA本部など外部とのやり取りは、すぐに出来たんでしょうか?
小林 :そうですね。固定電話がつながりにくかったので、主にメールでやり取りしました。ただあの日は、考えて行動したという記憶がないんです。とにかく、目の前で起こっていることひとつひとつに対応していったという感じでした。
赤見 :すぐに被災者の受け入れも始めたそうですね。
小林 :私たちは福島市と防災協定を結んでおりまして貯水がかなりありますし、独自の防災備蓄品が相当数あります。水道・電気といったライフラインが止まっていましたので、まずは近隣の方が来られて、その次に沿岸部から津波や原発で避難して来られた方が入られました。
赤見 :最終的に受け入れた避難者の数は?
小林 :550名です。本来ここは、広域避難場所と言って物資や水の提供ができる一時避難場所なので、滞在する想定はされていないんです。ただ、ジョッキーの調整ルームと厩舎の居室が使える状態でしたので、入っていただくことができました。
赤見 :そうだったんですね。競馬場の職員さんは何名いらっしゃるんですか?
小林 :今は35名です。ただ、ガードマンですとか競馬場に関わっている人が他にもたくさんいますので、みなさんに協力いただいて、最終的に最大の550名まで受け入れることができたんです。
赤見 :物資も必要な分は行き渡って?
小林 :そうですね。当日は防災備蓄品の乾パンや水で対応しまして、翌日の早朝には市から米などが届きました。一番困ったのは、トイレですよね。貯水を生活用水で使ってしまうと飲み水がなくなってしまいますから。それで、水を使わない仮設トイレの設置作業も、翌日から始まりました。
赤見 :避難されてきた方はどんな様子でしたか?
小林 :近隣の方は無事だったことでホッとされたところもあったようですが、やっぱり沿岸部から来られた方は、原発の事もありますし「この先どうなるんだろう」という、そういう不安は手に取って分かりました。
赤見 :大勢の方が避難されて、混乱のようなことはなかったんでしょうか?
小林 :そこが私も驚いたんですが、いわゆるパニック的なことは全くなかったんです。食事をお配りする時も、整然と、お互い譲り合いながら、本当に静かに過ごされていました。もちろんその中で、「この先どうなるのかな」という不安は伝わってきました。私たち自身も不安でしたし、そういう気持ちは共有していましたね。
赤見 :はい。
小林 :それでも、本当にみなさん、慌てたり「早くよこせ」とか、そういうことは一切なかったと思います。利他的と言うんでしょうか、周りに対する思いやり、そういうものをすごく感じました。あれには驚きましたし、こちらとしてもすごくうれしかったですね。
赤見 :そういう部分は、世界的にも評価されたところですよね。
小林 :そうですね。私自身は福島の人間ではなくて、こちらに来て丸3年なんですが、福島は本当に優しい人が多いんです。それが災害非常時でも変わらないんだなと、そこをすごく感じましたね。その避難されて来たみなさんは、1週間ほどここで過ごされました。
赤見 :その頃にはインフラも戻って?
小林 :そうです。なので、大部分を占めていた近隣の方はご自宅に帰られて、遠くから避難されてきた方も、行政の方でなるべく同じ地区の方がまとまって情報共有できるようにとのことで、別の避難所に移られました。そうしたら出られる時に、厩舎のホワイトボードに「ありがとう」って書かれていて。「すごいな、福島」って思いましたね。
赤見 :温かいですね。また今回のことで、競馬場の避難場所としての役割が発揮されましたね。
小林 :そうですね。今回、本当はもっと多くの受け入れ要請があったのですが、スタンドが壊れて水浸しになってしまっていて、その上余震が続いていましたので、安全が確保できる場所でしか受け入れられないということで最大550名だったんですけども、食糧や水の提供など、行政と手を組んで、非常時に少しはお役に立てたのかなと。もちろん災害はないにこしたことはないですが、そういうところは発揮できたかなと思っています。
赤見 :また、それを支えた関係者のみなさんのパワーも大きいですね。
小林 :ええ。若手・ベテランが協力しながら、機敏に現場を仕切って、すごく上手く回っていたと思います。組織力と言うんですかね、そういうのを改めて感じました。
赤見 :本当はみなさんも被災者ですもんね。
小林 :自分自身の不安も大きかったと思います。そういう中、24時間体制で、本当によくがんばったなと。同僚として頼もしく感じました。(Part2へ続く)
◆写真で見る福島競馬
▲スタンドの天井が崩壊。ファンエリアのスタンドの天井が崩壊。特に5、6階の上層階に大きな被害が見られた。(提供:JRA福島競馬場)
▲観客席の天井も損壊。観客席も天井が落ちてくる被害に見舞われた。競馬開催日でなかったことは幸いと、関係者も胸をなでおろす。(提供:JRA福島競馬場)
▲避難者が滞在した調整ルーム。避難者は、騎手の調整ルームや厩舎の居室に滞在。災害非常時にあって個室空間が確保されたことは大きいという。
▲「ありがとう」のメッセージ。厩舎の居室に滞在していた避難者の方が、ホワイトボードに残した「ありがとう」。このメッセージに関係者も胸を熱くしたそう
◆予告
スタンドの損壊など大きな被害を受けた福島競馬場。それでも、誰一人怪我人がでなかったことは奇跡的です。次には復興へ向けての道が始まります。目の前に突き付けられた現実と、歩み出す原動力になったものとは。次回は3/12(月)公開です。お見逃しなく。