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梅田智之調教師インタビュー Part2

  • 2012年05月14日(月) 12時00分
07年に開業した梅田智之厩舎。調教助手として西原玲奈元騎手が在籍する梅田厩舎は、トレセンの働きたい厩舎ナンバー1。風通しの良さで厩舎の成績は上昇。そこでめぐり会った素質馬ショウナンマイティ、安田記念で厩舎初のGI制覇獲りに挑みます。(5/7公開Part1の続き)

『安田記念へ、浜中騎手の提言』

:先生は、お父様が調教師でトレセン育ちですが、小さい頃から調教師を目指していたんですか?

梅田 :小学校6年の時のアルバムは、「騎手になってダービーを勝ちたい」だった。うちのクラスでも10人くらいそう書いたんじゃないかな? その中で騎手になったのは岸滋彦だけだけどね。ダイタクヘリオス(マイルCS連覇)、エイシンサニー(オークス)、サンドピアリス(エリザベス女王杯)、GIを4つも勝っているよ。

:すごいですね。

梅田 :うん。それで、その岸も俺も武豊さんの1つ後輩なの。この間までの自分の自慢が、「豊さんの唯一の後輩調教師」っていうね。あの、年下っていう後輩はいっぱいいるよ。でも、栗東の小学校、中学校からの後輩調教師は1人だけで、馬主さんにも「豊さんの唯一の後輩調教師です」って言っていたんだけど、この間高橋亮君が調教師試験に受かったから使えなくなったわ(笑)。

:あはは(笑)。07年に開業されて、今年が開業6年目。開業した時はどんな様子でしたか?

梅田 :最初はバタバタしてたな〜。伊藤雄二厩舎がうちと庄野靖志厩舎に分かれて、庄野厩舎には伊藤雄二先生の息子さんが、うちには笹田和秀さん(現調教師)が来ることになったの。最初は、年上だしどうしようかな〜って(笑)。しかもうちは、古川平厩舎、鹿戸幸治厩舎、瀬戸口勉厩舎からもスタッフが来たから。でも、笹田さんがすごく気を遣ってくれてね。スタッフ間の問題は起こらなかった。


笹田師が助手時代に手がけたエアグルーヴ

笹田師が助手時代に手がけたエアグルーヴ

:しかも笹田先生は、あのエアグルーヴを手掛けられたんですよね。

梅田 :そう。助手だけど笹田さんの方が経験があったから、そういう面でもだいぶ助けてもらった。で、笹田さんが調教師試験に受かってうちの厩舎を卒業したんだけど、そうそう、今日も朝の取材で言ったんだけど、開業してからうちの厩舎辞めたの、その笹田さんひとり。誰もいないよ、6年目で。

:ええ!? でもね、「梅田厩舎に入りたい」って、よく聞きます。

梅田 :1週間に3回言われたことあるよ。本当にこれ、自慢だけど(笑)、大袈裟ではなく1週間に3回「いつ空くの?」「梅田厩舎に入りたいから早く入れてよ」って。お陰さまで厩舎は人気あるんだわ。それは、今成績がいいからっていうのではなく、結構前からなんだよ。

:やっぱり、先生の雰囲気作りだと思います。

梅田 :自分で言うのもなんだけど、あると思うよな。俺、あんまり言わないしさ。気は短いんだけど(笑)。

:気短いんですか!? どこがですか!? そんなイメージ全然ないですよ。

梅田 :短いの(笑)。短いんだけど、ただ、みんなうちの家族だと思っているから。そう思うと下手なことは我慢しないといけないなって。それに、これまでスタッフに関して苦労したことってないわ。

:ないですか。

梅田 :うん。みんなものすごくよくやってくれるし、逆に苦労をかけているなっていうくらい。まあ、開業して最初の何年か、成績が出なかった苦労はあったけどね。2歳の新馬が検疫に入ってくるでしょ。

:はい。


成績がよくない時にはスタッフに苦労をかけた

成績がよくない時にはスタッフに苦労をかけた

梅田 : GIをいくつも勝つような厩舎の馬が隣に入っていると、もうその時点で負けているわけ。成績があんまり良くない時には、申し訳ないなっていうのがあったよな。そういう時からでもスタッフから「辞める」って言われたことはない。中には思った人もいるかもしれないけど、ここまでは届いてない。玲奈ちゃんあたりで止まっているかもしれないね(笑)。

:「聞いて、聞いて」って言っている人がいるかもしれない(笑)。でも、玲奈ちゃんからも聞いたことはないです。

梅田 :まあ本当ね、調教師をやっていての苦労っていうのは、例えば厩務員、助手、その背中には家族もいるわけだから、そういうことを考えるとものすごく責任は重いよね。助手の時は、俺が稼がなかったらひもじい思いをするのはうちの家族だけだっていう感じだけど、ここはそうはいかない。

:そうですよね。そう考えると、100人くらいのものを背負っているんですね。

梅田 :そうだね。家族とか、身内を入れたらね。いや〜、結構大変。調教師って案外大変なんだよ。

:馬のことだけじゃないですもんね。そういう時にショウナンマイティのように活躍馬が出ると、厩舎の士気もぐっと上がりますね。

梅田 :そうそう。

:安田記念に出走ということですが、大阪杯を勝って当初は宝塚記念直行という?

梅田 :うん、宝塚記念直行だったんだけど、元々「マイルを走らせたいな」ってずっと思っていたんだよね。大阪杯を勝って宝塚記念に行きたいなって思いながらも、どこか頭の片隅では「マイル」「安田記念」って。特に東京のマイルは直線も長いからいいなって思っていて。

:はい。

梅田 :そうしたら、乗り役のせいにするわけじゃないんだけど(笑)、浜中が「安田記念に行ったらいいところあります」って熱心に言うので、オーナーにも「乗り役も自信を持っているんですが、どうされますか?」って伺って、それで「行きましょうか」ということに。(Part3へ続く)

◆梅田智之調教師と一問一答

2010年2月、西原玲奈騎手の最終騎乗

2010年2月、西原玲奈騎手の最終騎乗

Q.西原玲奈ちゃんのファンです! 調教助手になられての活躍ぶりを知りたいです。

梅田 :玲奈ちゃんはジョッキーの時に1年間うちの攻め馬を手伝ってもらって、それから助手になったんだけど、その助手になる前に玲奈ちゃん以外のスタッフ全員に、みんなまとめてじゃなくてひとりひとりにね、「玲奈ちゃん助手にしたいんやけどどう思う?」って聞いて。ひとりでも「×」って言ったらと思っていたんだけど、全員だわ、「玲奈ちゃん助手にしてやって」って。一言で言ったら、みんなに愛されているよね。

:すごいですね。ひとりひとりに確認されたんですね。

梅田 :したした。どんな考え持っているか分からないからね。でも、みんな玲奈ちゃんなら大歓迎って言ってくれたから。人当たりがいいもんな。玲奈ちゃんね、競馬で返し馬に行って2人でスタンドにトコトコ歩いて行く時に「西原さん、サインして」って今でも結構声を掛けられるの。

:ファンからも愛されていますね。本当に優しいし、悪いって言う人がいないですもんね。裏表がなく、ちょっと男っぽく(笑)。

梅田 :そうそう、男前(笑)。

◆梅田智之
1969年4月20日、滋賀県出身。父はJRA調教師の梅田康雄。95年に競馬学校厩務員過程に入学。栗東・西橋豊治厩舎の調教厩務員、調教助手を経て、06年に調教師免許取得。翌07年に栗東で開業。同年4月7日の阪神5R、メイショウハナミチで初勝利。12年、ショウナンマイティの大阪杯で念願の厩舎重賞初勝利を挙げた。通算成績は1318戦78勝、うち重賞1勝(5月7日現在)。

◆復帰のご挨拶
☆皆様のご協力のおかげで復帰させていただきました。これからはママ目線もプラスしてより楽しいインタビューをお届けできたらなと思っています(*^_^*)東奈緒美

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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