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ヴィクトリアマイル

  • 2012年05月14日(月) 18時00分
 ここまでGIに挑戦すること5回。「2着、2着、3着、3着、4着…」。あと一歩、もう少しで…の惜敗を続けてきた4歳ホエールキャプチャ(父クロフネ。母グローバルピース、3代母タレンティドガール)が、とうとう念願のGIタイトルを掌中におさめた。470kgの馬体重は、休み明けでちょっと余裕残しにも映った前回と同じで、デビュー以来の最高馬体重。善戦止まりが連続した3歳時より10kg以上ふえているが、追い切り時と同じく、締まって細いと思えるくらいシャープにみせていた。芯が入ってようやく完成期に近づいたのである。

 あと一歩の惜敗をつづけただけに、関わる人びとの喜びは、祝福するファンにもストレートに伝わった。田中清隆調教師、オーナーの嶋田賢氏、生産牧場の飯田正剛氏、横山典弘騎手。4人の記念撮影は、最初から決まっていたかのようにみんなが自然に集まった感じで、いかにもそれぞれの達成感と、ようやく(ひとまず)の満足を思わせた。それより前、ウイニングランを終えた横山典弘騎手。ムチも、ゴーグル…も、後検量に必要ないものはみんなゴール前のファンに投げ入れていた。珍しいほどの破顔だった。ベテラン健在を示したあふれる充実感があった。

 良馬場に恵まれたBコース。勝ちタイムは「1分32秒4」。ウオッカの09年、ブエナビスタの10年とまったく同じである。07年のコイウタが1分32秒5なので、創設されて7回、うち4回まで同一にも近い時計で決着したことになる。馬場状態も、ペースも異なるのは当たり前。それで4回も同じ勝ちタイムなのだから、たまたま偶然の部分があるとしても、この時期の東京の、1600mのGIにふさわしいレベルのレースモデルが浮かび上がったように思える。

 クィーンズバーン(内田博幸騎手)の先導したレース全体の流れは、「46秒4―46秒0」=1分32秒4。前半の1000m通過は58秒2。速くはない。といって遅くもなし。数字が示すとおりの少し楽な標準(平均)ペースである。レース前から、あまり速くならず、遅いくらいの平均ペースはどの陣営も織り込み済みだった。内枠の伏兵陣の大半が先行=好位を占める中、スタートして間もなく16番ドナウブルー(C.ウィリアムズ)が2番手を確保し、その内につけたのが12番ホエールキャプチャ(横山典弘)。結果的にではなく、最初から隙なしとはまさにこのことである。みんなの予測した通りの流れだから、この時点で2頭の好走は約束されたも同然だった。

 勝った横山典弘騎手の、ビッグレースでのペース判断の的確さは知られるが、C.ウィリアムズ騎手はすごい。ただ高速馬場に対処するために、どのレースでも先行しているわけではない。レースが始まって、途中のラップが表示されて、そこが理想のポジションだろうとなったところにいるのは、だいたいウィリアムズ騎手なのである。この日の東京9R(1000万下の2000m)。だれも行かないとみるや、すんなり超スローで先手を取り(62秒6-58秒4)、二の脚を使って楽々の逃げ切りを決めたのは、(ウィリアムズ騎手だから3番人気になっていた)伏兵イイデステップ。先行しての抜け出しならともかく、短期免許のウィリアムズ騎手に自分の庭のようにペースを作られ、楽々と逃げ切られてはさすがにマズイだろう。ひたむきに、研究熱心な彼だからいいようなものの、そうでなければなめられたも同然である。

 1〜2着だけでなく、3着マルセリーナも、4着キョウワジャンヌも4歳馬。勢いで若い4歳馬が5歳以上馬を上回っていた。1番枠のマルセリーナは最内でずっともまれ通し。レース前に描いた作戦より後方の位置取りになったと思われるが、坂上でキョウワジャンヌの横をこじ開けてはじき飛ばすように伸びた。内を衝いたとはいえ、上がり33秒5はメンバー中NO.1。ビシビシ追っても体は減らなかった。牝馬だから中2週で「安田記念」に挑戦する馬は少ないと思われるが、きょうは激走したわけでもない。ホエールキャプチャと、マルセリーナは安田記念でも伏兵たりえるだろう。

 4着キョウワジャンヌは、スタート直後からホエールキャプチャをぴったりマークできる立場だったが、初コースのためか3コーナー過ぎ、さらに直線に入ってもちょっとふらつくようなシーンがあった。小差とはいえ最後はマルセリーナに差されて4着だが、今年はまだ2戦しただけ。夏の平坦に近いコースは間違いなく合うだろう。

 人気のアパパネは、ただ1頭だけ490kg台。積み重ねた実績だけでなく、パワーあふれる存在感も他を圧していたが、もともとそう切れるタイプではない。こういう流れなら自分からスパートして抜け出したいこの馬に、一団に近い馬群が形成された内枠はきつかった。終始、前にもうしろにも、横にも他馬がいるシーンが多く、大柄なこの馬がもっともスムーズではなかったように思えた。勝利のほとんどが外枠で、3着以下にとどまった9回中(香港は別)、7回までが真ん中より内を引いたときなのは、あながち偶然ではないかもしれない。そろそろ少し陰りが…などと思わせた時期もあったが、今回の敗因はそれではない。かつてのオグリキャップではないが、デビュー時から50キロも増えての500kgを超えるとさすがに抱える負担も増える。引退まであと半年、かわいそうだが、またリバウンドして太ったアパパネになりたくない。

 上がり馬として評価の高かったオールザットジャズは、少しチャカチャカしすぎるレース前だったから、初コースがマイナスだった。高く評価したのは間違いではないと思いたいが、終わってみれば、前回あたりがピークだったかもしれない。それにこの流れだから仕方がないとはいえ、ずっと外々を回って好走できるような相手でも、馬場でもなかったろう。

 よく理由の分からない「乗り代わり」が、あちこちで論議を呼んでいたフミノイマージン(太宰騎手→池添騎手)。理由は発表することではなく、正しくない危険もあるが、乗り代わりはどうやらオーナーの希望ではないらしい。太宰騎手と、池添騎手は、同期だという。公平にみて技量は互角である。仕事とはいえ、頼まれた池添騎手からして、歓迎ではないだろうに。置かれた(それはダメですとはいえない)立場もあるだろうが、こういう騎乗依頼だけはけっして受けない騎手のほうが多い。直線、横に広がった18頭、フミノイマージンはもがきつづけたが、この馬の前だけは決して進路が開くことはなかった。天まで敵にしてしまったのである。騎手変更など平気な時代ではあるが、さすがにこういう乗り代わりは、騎手はもちろん、フミノイマージンのファンも、黙っているだけの馬も、ただただみんながやり切れないだけである。この2頭と、直線の大外で交錯しながらしんがり争いに勝利してしまったアプリコットフィズ(田中勝春騎手)は、もう分からない。肩入れしているファンは、ここ一番になるたびに、気の毒である。

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1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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