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ハナズゴール・M.タバートオーナー(3)『何でこんなに速くなるねん!』

  • 2012年07月16日(月) 12時00分
マイケル・タバートオーナーの名前を一躍有名にしたハナズゴール。ディープインパクト産駒全盛の時代にあって、オレハマッテルゼ×シャンハイという血統から生まれた根性娘。マイケル・タバートオーナーが、日高の小さな牧場に埋もれていた彼女の素質をいかに見抜いたのかに迫ります。(7/9公開Part2の続き)

:ハナズゴールは山上(和良)オーナーのご紹介ということですが、最初はどんな印象だったんですか?

マイケル :最初は山上先生から送っていただいた写真を見て「すごくいいな」と思って。実際に牧場に見に行ったんですが、そこがものすごい雪の中で。北海道の人の車でもなかなかたどり着けないくらい。

花代 :特に雪深い、奥の方の牧場だったんです。その見に行った時点で、ハナズゴールは2歳の2月、もう一頭のシャープナーは3歳で、まだ生産牧場にいたんです。

おじゃ馬します!

人を乗せたことがなかったんです

マイケル :だからそれまで人が乗ったことはない。柵の中をワーッと走って、自然のものを食べて、雨が降ったら水が飲めるとか、そういう環境にいたんです。

花代 :ハナズゴールの負けん気と根性は、そこから来たのかもしれません。

マイケル :それで見せてもらって「やっぱりいい馬だな」って思ったんですけど、「ちょっと大きすぎるんじゃないかな」とも思ったんです。

:えっ、410キロ台の小柄な仔なのに?

マイケル :だから、びっくりしたんです。購入して育成のカナイシスタッドに着いて体重を測ったら、シャープナーが450キロで、ハナズゴールは390キロ。逆だと思っていたから「ええっ、うそ!?」ってびっくりして。大きく見せる馬がいいって言いますが、こういうことだなって思いました。

:オレハマッテルゼ産駒に目を付けていたんですか?

マイケル :そういうわけでもないんですけど。でも血統はすごくいいじゃないですか。netkeiba.comの掲示板を見ていると短距離と思われているみたいなんですけど、僕は2400mを勝つための血統じゃないかなと思っています。ダイナカールが祖母に入っていて、それはルーラーシップとほとんど変わらないですし。

:ハナズゴールも含め、ご自分の馬が走る時は、競馬場に行かれるんですか? でも、全部は厳しいですかね?

マイケル :本業が忙しいのでなかなか…。チャンスがある時には行きたいんですけどね。ただ、ハナズゴールの赤松賞と菜の花賞は、東京・中山まで行ったけど両方負けて。

おじゃ馬します!

「マッテナイゼ」の方が良かったかな

花代 :「ゴールでマッテルゼ」で「ハナズゴール」って付けたんですけど、ゴールで待っていない時に勝っているので「マッテナイゼ」の方が良かったかな、みたいな(笑)。

マイケル :そう(笑)。だからチューリップ賞も行かない方がって思ったんですけど、行って良かったです。

:行っていなかったら一生の後悔でしたね。でも、関東馬なのに桜花賞トライアルでチューリップ賞を選ばれたのは、どうしてなんですか?

マイケル :まずは彼女に合わせてレースを選ぼうと思って。阪神のコース形態で、普通に流れて上がり勝負になれば、かなり良い勝負になるじゃないかなと思ったので。

:ジョワドヴィーヴルなど、メンバーがそろっていましたが?

マイケル :ん〜、個人的にはジョワドがそんなに抜けているとは思っていなくて。むしろ、ジェンティルドンナとエピセアロームが強いと思っていました。まあ、さすがに勝つとは思わなかったですけど、500万下を勝った時の走りをすれば、権利は獲れるんじゃないかと思ったんです。加藤(和宏)先生は「勝つ」って言っていましたけど。

:自信たっぷりだったんですね。レース前は、楽しみもあるし緊張もするしで。

マイケル :はい。基本的にハナズゴールが走る時はすごく緊張して、ご飯が食べられないんです。手もめっちゃ汗かいて。でも、夢を見たんですよ。最後の最後にジョワドにハナ差届くっていう。

おじゃ馬します!

ハナズゴール、興奮のゴール前

:実際は、突き放して勝ちましたよね。その瞬間って、どんな喜びだったんですか?

マイケル :大興奮でしたよ。勝って泣くと思ったんですが、なんか笑いが止まらなかったんです。ずっと「ウハハハハッ」って。仲の良い友達10人ぐらいで見ていて、もう、すごい騒ぎになっていました。

花代 :うれしくてうれしくて、みんなでワーって抱き合って。

マイケル :いや〜、あれは感動した。素晴らしい。チューリップ賞を勝つなんて考えられないですからね。だって過去に勝った馬、名馬ばっかりじゃないですか。信じられなかったです。その後も、みんなで語り合っている話のレベルがすごかった。「オークスから連闘でダービーかな」とか。

花代 :醍醐味だよね、そういうのがね。

:そういう夢を見るくらいの強烈な勝ち方でしたもんね。ただその矢先に、桜花賞を直前で回避という。

マイケル :はい。桜花賞のことはすごく勉強になったと言いますか。僕は、桜花賞負けるわけがないと思っていたんです。不安要素が1つも無かったんですよ。それで緊張して、追い切りの日まで毎日1時間寝られているかどうかだったんです。で、追い切りが終わって加藤先生から「ちょっと壁を蹴ってしまって」って電話で聞いて、「これは危ないんじゃないか」と思ったら、その夜はめっちゃ寝られたんです。

花代 :ピーンと張っていた緊張の糸がプチーンと切れて。

マイケル :それで朝起きたらまた電話がかかってきて、「出走しない方がいい」って聞いて「ガーン」って。まさか壁を蹴って回避するほど影響があるとは考えていなかったので。でも、競馬は結果なので、出ないことには何も言ってはいけないと思いました。

:それで桜花賞を回避して、NHKマイルCからオークスと。

マイケル :決して理想的なローテーションだと思っていなかったですけど、オークス直行ではなく一たたきしたほうがいいなと思ったんで。ただNHKマイルCは、本当は出してはいけないレースだったと思っています。

:と言いますのは?

マイケル :出てくるのが短距離馬が多いので、毎年ペースは速くなる。それでついていけないのはかわいそうというのがあって。逆にオークスは毎年スローになるので、何としても行きたいなと思ったんです。

:距離が延びる不安はなかったですか?

マイケル :不安はなかったんですけど、結果的に不安にすべきだったんですよ。今年はペースが早過ぎました。だから、距離がめちゃくちゃ関係あったんです。あんなペースになるとスタミナ勝負になるので、まあうまく行かない。でも、状態はすごく良かった。中1週だったのに体重が増えてね。

花代 :あんなケガの後なのにね。

マイケル :そう。加藤先生はすごいなと思いました。だから結果は、ペースが速過ぎたことに尽きる。7着のハナズゴールでさえ、オークス歴代7位のタイムですよ。それでは勝てるわけがない。オークスは毎年スローになるから使ったのに、展開で全部パーになる。そういうの、読めなかったですね。

:悔しさがよみがえってきますね。

マイケル :はい、悔しいです。この馬、新馬戦で「めちゃめちゃ強いな」と思ったんです。本当に強いと思ったのは500万下を勝った時。その東京開催で古馬を含めて一番速い上がりで勝ったんです。しかも、次の阪神開催でチューリップ賞を勝った時も一番速い上がり。だから2開催連続、日本のどの馬よりも速い上がりを使ったんですよ。

:すごい。

マイケル :だから、これはちょっと化け物だと思っているんですけど。僕は500万下勝ったときに確信しましたが、加藤先生はじめ、金石社長や、外厩でお世話になっているRYU RACING RANCHの栗林代表はもっと前からハナズゴールの能力を見抜いていたのですごいと思います。もともと、ハナズゴールを見つけて「すごくいい馬がいるんですよ」と山上先生に紹介したのが金石社長で、育成でお世話になっているときから日誌には今のハナズゴールにつながるコメントが書かれていたようですし、2歳2月まで野生馬のような生活をしていたハナズゴールを同じ年の10月にデビューできるまでにもっていってくれました。RYU RACING RANCHに入ったのは赤松賞の後ですが、年明けに栗林代表から「桜花賞目指しましょう!」と書かれた年賀状をもらったときには興奮しましたね。使って行けば、どこか大きいところで勝つとは思うんですけど。まあでも、あのオークスの姿を見ると感動します。レース後1時間ぐらいは「何でこんなに速くなるねん!」って落ち込んでいたんですけど、何回もレースを見直すと、感動します。

:秋が楽しみですね。

花代 :成長してきてくれると思いますからね。今は自分達だけじゃなく、お友達とかファンの方とか関係者の方とかゴールで待って下さっている方がいてくださって。それがすごくうれしいです。(Part4へ続く)

◆マイケル・タバート
1975年1月12日、オーストラリア出身。シドニーの近くのニューカッスルの高校で日本語を学び、日本へ留学。大阪外国語大学の日本語コースで1年間勉強した後、京都大学経済学部経済学科に進学。卒業後は母国で会計事務所に入社。99年、東京事務所への転勤で再来日。01年からは大阪事務所へと移り現在に至る。09年に馬主資格取得。11年8月にノアノア号で初勝利。12年3月、ハナズゴール号でチューリップ賞を制し重賞初勝利を挙げる。冠名のハナズは奥様「花代」さんの名前からとったもの。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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