スマートフォン版へ

第28話 暫定王者

  • 2012年12月10日(月) 18時00分
▼前回までのあらすじ
福島県南相馬市の杉下ファームは、2011年3月11日の東日本大震災で津波に襲われた。代表の杉下将馬が救い出した牝馬は牧場に戻って牡の仔馬を産み、息絶えた。仔馬は「キズナ」と名付けられた。美浦の大迫調教師とともに訪ねてきた後藤田オーナーによって1億円で購入されたキズナは、かつての一流騎手・上川を鞍上に迎え、2歳のデビュー戦を勝った。次走の重賞で、超大物と言われるライバルに惜敗するも、2歳王者決定戦の朝日杯FSで雪辱を果たした。

『暫定王者』

 2014年の正月開催で、上川は中山金杯勝ちを含む10勝の固め打ちをし、久々にリーディングのトップに躍り出た。

 しかし、気分は晴れなかった。このところ繰り返し脳裏によみがえってくる、あるレースシーンのせいだった。それは、キズナで制した朝日杯でもなければ、人気薄で逃げ切った金杯でもなく――。

 他場のモニターで見た、ラジオNIKKEI杯2歳ステークスでのヴィルヌーヴの走りだった。

 名手・武原豊和が操るヴィルヌーヴは、道中ずっと手綱を引っ張り切りで、直線、手綱を少しゆるめただけで見る見る後続を突き放し、2着に7馬身差をつけてゴールした。

 道中はもちろん、直線でも、あの馬は耳を絞らせていなかった。返し馬の延長ぐらいの感覚で走っていたのだろう。

 2着馬は、キズナがマカナリーにハナ差で敗れた東京スポーツ杯2歳ステークスで3着に逃げ粘ったトニーモナークだった。東スポ杯で、2頭とモナークとの着差は3馬身。そのモナークに、軽く走って7馬身差をつけたのだから、桁外れの強さだ。

 これで、新馬、札幌2歳ステークス、ラジオNIKKEI杯と無傷の3連勝。

 三強すべてとやり合ったモナークの主戦騎手の柴原は「ヴィルヌーヴが一枚上だろう」と話している。

 朝日杯を制したことで、前年の最優秀2歳牡馬のタイトルは、半ば自動的にキズナが獲得することになったが、ヴィルヌーヴに投票した記者も数名いた。

「今は『暫定王者』ってところだろうが、そうじゃないってことを、クラシックで見せてやるよ」

 JRA賞の授賞式での上川の言葉が、翌日のスポーツ紙で大きくとり上げられた。

 大迫は、キズナの年明け初戦を弥生賞にする、と早々に発表した。

 数日後、マカナリー陣営とヴィルヌーヴ陣営も、報道陣からの質問に答える形でローテシーションを明らかにした。マカナリーはスプリングステークス、ヴィルヌーヴは若葉ステークスを使ってから、ともに皐月賞に向かう、とのことだった。

 三強に対する注目は否が応にも高まり、報道合戦が加熱した。

 やはりメディアは絵になる対象を追いかけたがるもので、有力馬を担当する美人調教助手として内海真子の露出度も日に日に高くなって行った。

 弥生賞の前週、大迫厩舎の大仲で上川が何となく眺めていた競馬週刊誌の特集に、真子が自分で撮った部屋の写真が載っていた。小さくてわかりにくいが、壁に貼ってあるポスターは、上川が「帝王」と呼ばれた馬で1年ぶりの実戦となった有馬記念を勝ったときのものだ。

 仕事を終えた真子が大仲に入ってきた。

「ミキティ、これ」

 とその写真を見せると、真子は、きょとんとした顔で、

「何ですか?」

 と訊いた。

「この写真だ。テイオーとおれの」

「はい」

「マスコミにこれだけ出るようなったら、細かいところまで気をつけろ。あのレースに感動したのかもしれないが、実はおれのファンだったとか、妙な噂を立てられたら困るだろう」

「わたしは別に困りませんけど、上川さんにご迷惑がかかるようでしたら謝ります」

 と真子はうつむいた。

 例によってキレられるのではと身構えていた上川は拍子抜けした。

 黙って頭を下げ、ホワイトボードに担当馬についてあれこれ書き込む真子の後ろ姿を見て、このひと月ほど、彼女が穏やかになるにつれ、キズナが少しカリカリしてきていることに思い当たった。気持ちを爆発させる力を真子とキズナが共有し、どちらかが多く持つときはもう片方が少なく持つ……というように分け合っているかにも見えた。

 朝日杯の疲れも完全にとれ、さらにレース間隔があいたことで体内にエネルギーがかなり溜まっていたキズナは、弥生賞を圧勝した。

 本番の皐月賞に向けて、それなりに溜める競馬をするつもりだったのだが、これ以上手綱を引っ張ると口が硬くなりかねないと思い、4コーナー手前から少し行かせたら、2着を5馬身も突き放してしまった。

 マカナリーもスプリングステークスを楽勝した。2着との差は7馬身。ディープ産駒らしからぬ重戦車のような走りは、さらに豪快さを増していた。

「ぼくはこの馬が一番強いと信じています」

 そう話した鞍上の三好晃一の目には、本来の強い光が戻っていた。

 ヴィルヌーヴの若葉ステークスも圧巻だった。3コーナー過ぎから前をひとマクりにし、4コーナーを回りながら先頭に立ち、直線を軽く流しただけで2着に8馬身差をつけた。

「皐月賞は、この馬にステッキを入れなきゃならないレースになることを、ぼくも望んでいます。そうじゃないと、競馬界全体が盛り上がりませんからね」

 武原はそうコメントした。

 ――武原さんらしいな。

 上川は苦笑した。武原はしばしば、ただでさえ強い自分の騎乗馬をさらに強く見せ、他馬陣営に揺さぶりをかける。自分の馬への対策をとらせ、自分をマークさせることによって、主導権を握り、レースをつくるのだ。

 だから彼は、普通の騎手なら尻込みするような、GIの大舞台で単勝が1倍台になるような馬に進んで乗りたがるし、さらに人気が高まることを望むのだ。

「3頭立てでもいいだろう」という声も上がったなか、2014年4月の第74回皐月賞には18頭の出走馬が顔を揃えた。

 キズナにとっては、結果がどうあれ、「暫定王者」のタイトルを返上することになる戦いが、まもなく始まる。(次回へつづく)

▼登場する人馬
上川博貴……かつてのトップジョッキー。素行不良で知られる。
キズナ……震災翌日に生まれた芦毛の3歳牡馬。父シルバーチャーム。
マカナリー……クラシック候補のディープ産駒。
三好晃一……マカナリーに乗る若手騎手。
ヴィルヌーヴ……クラシック候補の関西馬。
武原豊和……ヴィルヌーヴの主戦。GI最多勝記録などを持つ、日本を代表する騎手。
大迫正和……キズナを管理する、美浦トレセンのカリスマ調教師。
杉下将馬…杉下ファーム代表。2010年に牧場を継いだ20代前半。
内海真子……大迫厩舎調教助手。キズナを担当。安藤美姫に似ている。

※この作品には実在する競馬場名、種牡馬名などが登場しますが、フィクションです。予めご了承ください。
※netkeiba.com版バナーイラスト:霧島ちさ

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング