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渡辺薫彦元騎手(1)『守りになったところはあります』

  • 2013年01月07日(月) 12時00分
2013年のトップバッター、1月のゲストは、2012年12月20日付けで惜しまれつ騎手を引退した渡辺薫彦元騎手。最終騎乗を終えた直後に、直撃取材をしました。人気ジョッキーの突然の引退発表、調教助手への転身…。その決意の裏側には、知られざる真実がありました。

:こうしてゆっくりお話するの久しぶりですね。渡辺さんのところも子供が産まれたって聞きました。まだ半年くらいですか?

渡辺 :7か月くらいかな。今はどのくらい?

:うちは1歳ちょっとです。めっちゃ可愛いでしょ〜?

渡辺 :僕ね、正直子供が苦手だったんですけど…まさか、写真を携帯の待ち受けにするとは(笑)。

おじゃ馬します!

本当は早く帰りたいですもん(笑)

:あははは(笑)。やっぱり我が子は可愛かったですか。

渡辺 :はい。今もインタビューが終わったら、早く帰りたいですもん(笑)。

:じゃあ、早速始めましょう(笑)。まずは19年間の騎手生活、お疲れ様でした。阪神競馬場での最後の騎乗を終えて、今の率直なご感想は?

渡辺 :やっぱり、ホッとしているのが一番大きいですね。最後に怪我でもしたら、洒落にならないですからね。僕ね、何年か前にファイナルSで落馬したことがあるんです。そういうことも頭をよぎったので、ひとまず無事に終えられたっていうのが一番でしたね。

:調教師を目指すということで騎手を引退されたわけですが、今はもう1年を通して試験勉強されているんですか?

渡辺 :そうですね。ただ、今はちょっとバタバタしていて、少しゆっくりとしたペースで勉強しています。

:年末はね、試験が終わってちょっと気が抜けるところもあるでしょうし。

渡辺 :そうですね。それと、引退でバタバタしているのもあって。まあ、飲み会ばっかりなんですけど(笑)。お疲れ様会をやってくれるんですよ。

:すごく多そうですね。

渡辺 :多いですね。毎晩です。

:毎晩!? じゃあ、年が明けて落ち着いて本腰を入れてっていう感じですかね。今回「引退」っていうのを聞いてびっくりしたんですけど、きっかけは何だったんですか?

渡辺 :結構前から考えていたんです。もともとずっと騎手としてやっていこうとは思っていなくて、長くても40歳くらいまでかなと考えていたんです。漠然とですが、何年か前から「調教師」という仕事に魅力を感じていて。海外にチャレンジされている先生方を見ていると、憧れますね。

:今37歳ですが、年齢的にもそろそろって考えていた時期でもあったんですね。

渡辺 :そうですね。そうこうしているうちに、うちの沖(芳夫)厩舎の調教助手の枠が空くということで、タイミング的にもここかなと感じました。

:デビューから引退までずっと沖厩舎の所属ですが、やっぱり沖厩舎に残りたいっていうのが前提であったんですか?

渡辺 :そうですね。それが前提でしたね。よその厩舎で調教助手にっていうのは、全然考えられなかったです。

:それだけ居心地の良い厩舎なんですか?

渡辺 :居心地も良いですし、やっぱり先生のお人柄ですよね。尊敬する先生なので、その先生の下で働けるのが自分にとってベストだなって。

:じゃあ、今回調教師を目指すにあたって、先生にも相談されたんですか?

渡辺 :そうですね。というか、先生はずっと「調教師を目指せ」っておっしゃってくださっていたんです。一昨年くらいかな、先生が牧田(和弥)調教師と角田(晃一)調教師のところに行かれて、おふたりが調教師試験の勉強をされていた時のノートを借りてきてくださったんです。

おじゃ馬します!

「これでがんばれよ!」って(笑)

:「これでがんばれよ!」って。

渡辺 :そうそう。「これはやるしかない」っていう状況になりますよね(笑)。

:先生の後押しも大きかったんですね。

渡辺 :そうですね。一番大きかったですね。そのノートを使いながらレースの間の週中に勉強をし始めて、今年(2012年)初めて試験を受けてみたんです。そこで「これでは足りないな」っていうのを感じて。それで、馬から降りて勉強しようと思いました。

:やっぱり簡単には受からない試験だから、気合入れて。

渡辺 :そうですね。もちろん簡単なものだとは思っていなかったですし、試験も、乗る方に関しての問題は大丈夫だと思うんですが、馬学とか馬術を文章にするとなると、なかなか難しくて。なので、騎手としての区切りをつけて、馬から降りて馬に触れながら勉強しようと思ったんです。

:最近は「騎手から調教師へ」っていう形もできていて、成功されている方も多いですが、やっぱり意識されますか?

渡辺 :意識しますね。ジョッキーをやりながら勉強して受かる方もいるんですから、すごいですよね。でも、正直なところ、僕にはそれは厳しいなって思いました。やっぱり土日の競馬が近づくと、気持ちが高ぶって勉強に集中できないところもありましたので。

:レースのことで頭がいっぱいになったりもしますもんね。

渡辺 :そうなんですよ。終わってからも、レースのことを考えたり、引きずったりもしますからね。だから、時間的にはジョッキーの方が余裕はあると思うんですが、僕の場合は調教助手をしながら勉強をする方が合っているのかなと。調教助手になって、先生の調教師業務も近くで勉強させていただこうと思っているので、そうやっていると時間もなくなってしまうかもしれないんですが、そういうことも勉強のひとつだと思っていますので。

:あと、お父さんになられての心境の変化もあったのかなって思ったのですが、その辺はどうですか?

おじゃ馬します!

守りになったっていうところは…

渡辺 :ああ、そうですね。やっぱり少し、何て言うんでしょうね、子供を守っていかないといけないって思うと、もう怪我もできないなって思ったところはありますね。

:そうですよね。

渡辺 :子供が生まれる前、子供ができたことが自分にどうでるかなって思っていたんです。「もっとがんばろう」って思うのか、どうなのか。それでやっぱり、今までより怪我が怖くなったっていうのは、多少はありますね。守りになったっていうところは、なきにもあらずです。

:子供のためにも、調教師としてがんばっていきたいなっていうふうに気持ちがいったんですね。

渡辺 :そうですね。

:同じ騎手から石橋守さんや飯田祐史さんが調教師試験に合格されたんですよね。いい刺激になりますね。

渡辺 :石橋先輩、合格されましたね。石橋先輩はものすごく頑張っていらっしゃったので。そういう姿を身近で見ていて、「あそこまで追い込んでやらないといけないんだ」っていうのも分かっていますので。そう言った意味では、普段から仲良くさせていただいている石橋先輩や飯田先輩に教えてもらいながらがんばれると思いますしね。

:「調教師」に向けて、またこれからですね。

渡辺 :はい。(Part2へ続く)

◆次回予告
競馬学校第10期生として、1994年にデビューした渡辺薫彦元騎手。同期には幸英明騎手、吉田豊騎手など、第一線で活躍するトップジョッキーたちがいます。今でも同期会をするほど仲が良いというメンバー。その裏の顔を、少しだけ暴いていただきます。公開は1月14日(月)12時。お楽しみに。

◆渡辺薫彦
1975年4月5日生まれ、滋賀県出身。1994年に栗東・沖芳夫厩舎所属で騎手デビュー。父は同厩舎の厩務員。同期は幸英明、吉田豊ら。1999年、きさらぎ賞を自厩舎のナリタトップロードで制し、重賞初勝利。以降同馬とのコンビで活躍し、同年の菊花賞を勝利。人馬共に初GI制覇を遂げた。2012年12月20日付けで騎手を引退。JRA通算成績は7262戦339勝、うち重賞10勝。引退後は同厩舎の調教助手となり、調教師を目指す。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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