2月のゲストは熊沢重文騎手。昨年暮れの中山大障害を制覇。1991年にダイユウサクで有馬記念を制していて、史上初の平地・障害両グランプリ制覇の偉業を築きました。競馬学校第2期生、同期で現役は横山典弘騎手とたったふたり。「“しぶとく”をモットーにここまで来た」と語る熊沢騎手。今年45歳を迎えたベテランの素顔に迫ります。
平地・障害で活躍のベテラン熊沢重文騎手
東 :中山大障害をマーベラスカイザーで勝利。おめでとうございます。
熊沢 :ありがとうございます。
東 :1991年にダイユウサクで有馬記念を勝たれていて、これで平地と障害両グランプリ制覇。史上初の快挙ですね。
熊沢 :ずいぶんと間が開いているので、もう忘れた方もいるでしょうね(笑)。どっちを絡めてということではなくて、どちらも勝てて嬉しかったレースです。
東 :中山大障害は「ダービーと並んで最も獲りたいレース」ともおっしゃっていましたが?
熊沢 :そうですね。若い頃に言った事なので、今となってはどんなレースでも勝ちたいですけど、障害にずっと乗っている人間にとっては、やっぱりここが一番ですので。日本でトップのレースですからね。
東 :それを実現されたんですもんね。中山大障害は7回目の挑戦での制覇と。
熊沢 :乗った回数、少ないでしょ? 20年以上も乗っているのにね。そこまで行きたい馬はたくさんいたんですけど、障害は故障のリスクもありますからね。縁がなくて使うことができなかったことが、たくさんありました。だから本当に、今回が初めてなんです。「この馬で絶対に行きたい」と思える馬で行けたのは。そこで結果を出してくれて、馬に感謝するしかないですね。
東 :マーベラスカイザーにはそれほどの思いがあったんですね。この馬には、障害に行く前に平地でも騎乗されていましたが、平地から障害に変わる時、馬自身に戸惑いってあるんですか?
熊沢 :練習の段階で、最初はやっぱりびっくりしますよね。基本的に障害を飛ぶ練習なんてしたことがないですし、そういう戸惑いはあると思うんですけど、この馬はすごく乗り手に従順なんです。だから、作る段階でそんなに苦労したことはないんですよね。
東 :調教も熊沢さんが乗られていたんですか?
熊沢 :障害をやり出してからはそうですね。障害は障害試験を受けないといけないので、馴致する段階でジョッキーが乗ることが多いんです。長いときは1時間くらい乗りますし、障害試験に受かるまでは毎日のように乗りました。
東 :平地もそうですけど、障害はさらにコミュニケーションが大事ですよね。
熊沢 :馬からの信頼を得ないといけないし、それ以上に僕らが馬を信用しないといけないですので。積み重ねてきたものがレースで生きてくるので、すごく大事だと思います。
「初めてのGIでの自信は?」
東 :マーベラスカイザーにとって中山大障害は、2回目の重賞挑戦でした。しかもGI。その辺りで自信というのはいかがでしたか?
熊沢 :僕が怪我で休んでいる間に京都で重賞を走って(京都ハイジャンプ)、その時も3着に来ましたからね。「キャリアの浅い段階でよく頑張ったな」と思いました。その後は間隔が開いて、休み明けで1回使ったんですけど(障害OP、3着)、それで馬の状態がグングン上がっていったので、馬に関しては何の不安もなかったです。練習の段階から飛びはズバ抜けて上手なものがありましたし、平地のレースでも良い脚を使う馬だったので楽しみでした。
東 :中山コースは初めてでしたが?
熊沢 :それも全然。レースの前日に競馬場でスクーリングをしたんですけど、コースに気を遣うところも全然なかったです。順応性が高くて、物怖じしないタイプの馬で。そういうところで僕らは、この馬で手こずったという覚えはないですね。信用してもらえているのかは分からないですけど(笑)、言うことをよく聞いてくれます。障害も上手いし、スクーリングも問題なかったし、本当に自信を持って乗れたんですよね。
東 :その中山大障害、連覇がかかるマジェスティバイオが1.4倍の1番人気、マーベラスカイザーは3番人気でした。マジェスティバイオより前のポジションでの競馬になりましたね。
熊沢 :そうですね。やっぱりあの馬は、ちょっと別格だなと思っていましたので。それで勝てたんですから、やっぱりすごい自信につながりますよね。
東 :最後の直線入り口で後ろを振り返られたのは、マジェスティバイオを意識されて?
熊沢 :それもありましたし、あとはどのくらい距離が開いているのかなって。後ろを離しているのは分かっていたので、怖い感覚で見たんじゃなくて、どのくらい開いているのか確認したんです。僕の馬も最後まで脚が止まる雰囲気ではなかったですし、余裕がありました。
東 :最後までぐんぐん伸びて、2着のバアゼルリバーを3馬身突き放す完勝。思った以上に強かったですか?
熊沢 :そうですね。初めてのGIで、もうちょっと苦労するのかなと思ったんですけど、レースは完璧に回って来てくれました。本当に、僕が頭で描いていた通りの競馬ができましたね。そういうのって、なかなかないですから。100頭乗って1頭いるかいないか。それくらい、レースで自分のフィーリングとぴったり合うっていうことは、なかなかないんです。
東 :100頭乗って1頭ですか。
熊沢 :はい。馬だけじゃなくて、その時のレースによって、流れとかいろいろなものに影響されますから。だから今回は、4100mという距離の長いレースでしたけど、苦労することもなく、楽しく乗ってこられたレースですね。
手応え感じたマーベラスカイザーとのコンビ
たくさんの思い込め…左手を強く握り
東 :本当に気持ち良く獲れたGIタイトルだったんですね。
熊沢 :そうですね。それと、担当の厩務員さんが定年で、最後のレースだったんです。この馬だけじゃなくて、違う馬でもたくさんお世話になった方なので、「ここで勝てたらカッコイイだろうな」と思いながら乗ったんですけど(笑)。それで本当に勝つことができました。
東 :それは喜ばれたでしょうね。
熊沢 :上がっていったら厩務員さん、号泣されていて。それまで僕もちょっときてたんですけど、それを見たら泣けなくなっちゃいましたね。
東 :でも、良かったですよね。競馬人生を本当によく締めくくれたという。
熊沢 :そうですね。“持ってる”厩務員さんなんですよね。マーベラスカイザーのお父さん(マーベラスサンデー)とお母さん(マーベラスウーマン)も、担当されていたんですよ。あと、ジャパンCを勝ったマーベラスクラウンもそうですし。厩務員さんの腕の良さって、そんなに表に出るものではないですけど、僕らが見ていても「ちょっと違うな」と分かるくらい、仕事のできる方です。
東 :腕も確かで、さらに持ってる厩務員さん。
熊沢 :そうです。僕はそれに乗っかっただけ。おいしいところだけ(笑)。
東 :いえいえ(笑)。最後のバトンを受けたわけですから。マーベラスカイザーは明け5歳、今年も楽しみですね。次は中山グランドジャンプを目指して?
熊沢 :今のところはそこを目標に。馬の調子を見ながら、1回か2回は叩くと思うんですけどね。まあ、まだ先の長い話ですので。本当にこればっかりは、とにかく無事にいってくれたらというところですけど。でも無事でレースに使えれば、結果を出してくれるんじゃないかなと思います。
東 :一言でいうとどんなタイプの馬ですか?
熊沢 :障害レースに関しては本当に優等生。飛びではまず失敗しないですし、しっかりした強い気持ちで障害に向かっていける馬です。レースでも引っ掛かるわけでもないし、ついていけないわけでもない。本当に思った通りに走ってくれる馬。本当に優等生ですね。(Part2へ続く)
◆次回予告
熊沢重文騎手は、平地と障害どちらでも活躍している、競馬サークル内でも数少ない騎手。ベテランの域に達してもなお、平地以上に危険を伴う障害レースに乗り続けるのはなぜなのか。その知られざる胸の内に迫ります。公開は2/11(月)12時、ご期待ください!
◆熊沢重文
1968年1月25日、愛知県出身。栗東所属フリーの騎手。競馬学校第2期生、同期は横山典弘、松永幹夫(現調教師)ら。1986年に内藤繁春厩舎からデビュー。デビュー3年目の1988年、コスモドリームでオークス優勝。当時の最年少GI勝利記録を打ち立てた。1991年ダイユウサクで有馬記念を勝利。2012年中山大障害をマーベラスカイザーで制し、(グレード制導入以降)史上初の平地・障害でのGI制覇となった。平地・障害両方で活躍する数少ない騎手である。