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清水久詞調教師/天皇賞・秋 Part2 『ファレノプシスから15年、豊さんとは縁を感じます』

  • 2013年10月24日(木) 18時00分


清水と武豊の縁は15年前から

清水と武豊の縁は15年前から

◆“逃げ”の活路を見出すまで

 年が明け、シンザン記念では1番人気に推されるも4着。その後も、ファルコンSが2番人気10着、ピンナに乗り替わったマーガレットSが3番人気3着、橘Sが3番人気11着と、折り合いの難しさを露呈するかたちで人気に応えられないレースが続いた。

「あの頃はね…。NHKマイルCを目指していたんですけど、暮れの朝日杯からして、けっこうガツンと行ってましたから。返し馬でもおとなしいし、ゲート裏でもゆっくりと歩いているのに、ゲートに入るとスイッチが入ってしまって、開いた瞬間、ドン! と行ってしまう。普段の調教では引っ掛からないので、苦労しないんですよ。追い切りも、こちらのメニュー通りに消化してくれますからね」

“逃げ”という活路を見出すのはまだまだ先。当時の清水が描いていたのは、馬の後ろで我慢をさせる競馬だった。

「なにしろ(行きたがるのは)競馬だけですからね。本当にジョッキー泣かせの馬だったと思います。それでもみなさん、よく辛抱して乗ってくれていました。もっと早く“逃げる”という考えにたどり着けば良かったんですが…」

 と、当時を振り返りながら、若干の後悔を滲ませた清水。結局、3歳の春は、橘Sを最後に3カ月の休養へ。1000万からの仕切り直しとなった7月の火打山特別(新潟芝1400m)で勝利を飾ると、続く昇級戦の長岡S(新潟芝1400m)は2着。古馬相手に通用以上の結果を残したといっていい。

「正直、初めての古馬相手ということで、どの程度やれるかな…という感じでした。決して自信があったわけではありません」

 そんな清水の意識を変えたのが、骨折による7カ月の休養を挟んで出走した、3月の武庫川S(阪神芝1600m)。

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GIの注目馬にスポットを当て、主戦騎手や管理調教師を独占取材するnetkeibaのスペシャルインタビュー。GIに向けた意気込みや中間の調整過程、レース後に直撃し、戦いの舞台裏にあった知られざる真実を語っていただきます。

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