1975年の春クラシックで、前人未踏の4冠制覇を成し遂げた菅原泰夫。そこには知られざる腐心、そしてひたかくしにした“秘密”があった──。川田将雅が同様の記録に挑む今年、38年前の快挙の真実に迫った。
◆地味な男が春クラシック4冠を独占 当時29歳。真面目だが活躍馬に恵まれず、ローカルが主戦場だった菅原泰夫に、騎手人生で最大の転機が訪れた。カブラヤオーとテスコガビーとの出会いである。
カブラヤオーの血統は父ファラモンド、母カブラヤ。遅生まれということもあり、3歳の夏になっても買い手のつかない、売れ残りの馬だった。東京競馬場の茂木為二郎厩舎に入厩したころもほとんど目立たず、見栄えのしない馬だったという。
対してテスコガビーは一世を風靡したテスコボーイ産駒。管理する仲住芳雄調教師がガビーを初めて見たときに牡馬と見間違ったほど、隆々とした体躯の馬だった。
菅原がはじめてテスコガビーに跨ったのは3歳の9月、新馬戦に備えたゲート試験だった。菅原はその一度で、すっかり魅せられてしまったという。
「とにかくスタートが速くて、ゲートが開いた瞬間にはもう二、三歩出ていた。そしてあっという間に加速する。ケタ外れだった」
新馬戦は7馬身差、3戦目の京成杯では牡馬相手に重賞初制覇。菅原はその魅力についてこうも語っている。
「道中も鞍上の指示に従順だったし、しまいの脚もしっかりしていた。まさに“テンよし・中よし・しまいよし”の馬だった」
桜花賞の前哨戦もレコードタイムで制し