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【クラシックの源流をたどる】第一回桜花賞 ここから始まったライバル伝説

  • 2014年04月11日(金) 20時00分
昭和初期の中山競馬場
1939年に行われた中山四歳牝馬特別こそ、のちの桜花賞である。当時の資料や文献を読み解くと、2頭のヒロインが繰り広げた、鮮やかなライバル物語がよみがえった。


◆デビュー戦で激突した評判馬2頭

 第一回日本ダービーから遅れること7年、初回の桜花賞は、第二次世界大戦が勃発し、世界が大きく揺らいだ1939年に行われた。舞台は阪神ではなく、中山競馬場の1850m。レース名は「中山四歳牝馬特別」として開催された。

 その主役はソールレディ。父は名種牡馬トウルヌソル、母は星濱で、当時の名門である下総牧場で生まれた。姉のクサブエも活躍馬で、「牝馬の代表格」として早くから牧場の期待を受けた馬だった。いまでいう社台ファームやノーザンファームの良血馬というイメージだろうか。購買価格は三万四百円、当時の資料には「高馬」と書かれている。姉クサブエは体質が弱かったが、本馬は頑健だったのも高い評価につながったようだ。

 ソールレディのデビュー戦は1939年4月2日の中山第4レース。順調に調教を積んできたが、ここで強敵・ハレルヤが立ちはだかる。“大尾形”といわれた伯楽・尾形藤吉厩舎でも屈指の有力馬で、ファンも彼女を1番人気に支持。ソールレディは離れた2番人気に留まった。

 そしてハレルヤは、人気にたがわぬレース振りを見せる。尾形厩舎のホープ・保田隆芳を背にスピードに任せて逃げ、1800mを1分55秒3。2着のソールレディに5馬身差をつける圧勝だった。ほぼ勝負付けが済んだといってもよい着差であり、ソールレディの主戦・石毛彦次郎にしてみれば「何もそこまで離さなくても」という思いだったかもしれない。

 さらにソールレディにとって悪いことに

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