▲弥生賞優勝時のフジキセキ(撮影:高橋正和)
◆“幻のダービー馬”フジキセキの残像 94年、サンデーサイレンスの初年度産駒としてターフに登場したフジキセキは、新馬戦、もみじS、朝日杯3歳S、弥生賞とケタ違いの強さで4連勝。皐月賞を前に、前年のナリタブライアンに続く2年連続の3冠馬誕生を予感させたほどの馬だった。しかし、皐月賞に向けて調整が進められていた3月下旬、左前脚に屈腱炎を発症。関係者による協議の末、そのまま引退という選択がなされた。
馬主・齊藤四方司、調教師・渡辺栄、主戦・角田晃一、厩務員・星野幸男。一生一度、出会えるか出会えないかの逸材のリタイアに、チーム・フジキセキの無念たるや、いかばかりだったか。
「たらればですが、フジキセキが無事だったら、ダービーを勝っていたと思うんですよね。実際、もみじSで子供扱いにしたタヤスツヨシが、その年のダービーを勝ったわけですから。フジキセキという馬は、とにかく負けることがイメージできない馬でしたね」
しかし、縁とは不思議なもの。その6年後の00年、チーム・フジキセキは何かに吸い寄せられるようにして、再び同じ夢を追いかけることになる。その夢の続きを託された馬こそがジャングルポケット。陣営のダービーへの執念には、フジキセキで味わった無念が込められていた。
「ジャングルポケットに目を付けたのは渡辺先生だと思います。セリで狙っていた馬を落とせなかったようで、セリ馬以外でいい馬はいないかということになり、ジャンポケに目をとめたらしいです。セリで狙った馬を順当に落とせていたら、ジャンポケが渡辺厩舎に入ってくることはなかったでしょうね。それもまた、競馬の不思議な縁ですよね」
◆タキオンvsジャンポケ、2強対決の皐月賞 共同通信杯を制したジャングルポケットは、トライアルを使わず、そのまま皐月賞に直行するローテを選択。本番まで2か月以上あったが、ダービーから逆算しての既定ローテだった。その間、ライバルのアグネスタキオンは弥生賞で、クロフネは毎日杯で、奇しくも同じ5馬身差の圧勝を飾り、ともに順調な仕上がりを見せていた。
「先生は当初、『皐月賞は使わない』とおっしゃっていたんです。というのも、