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【クラシックの源流をたどる】第一回ダービー その“想い”は成し遂げられたか

  • 2014年05月30日(金) 22時00分
ワカタカ

▲第一回ダービーの勝ち馬ワカタカ。鞍上は函館孫作

馬産地や競馬関係者からの声を受けて開催された第一回日本ダービー。現在、世界に誇るビッグレースに成長しているが、その功労者である安田伊左衛門の“想い”は本当に受け継がれているのだろうか――


◆馬産地の窮状から開催を決意した安田伊左衛門

 1917年、馬産地を訪れた安田伊左衛門は、疲弊ぶりに驚愕したという。さかのぼること1908年の馬券禁止がその遠因だが、その衰退は「想像を絶する」ものだったという。そして安田が牧場に足を運ぶたびに、生産者たちからはこう言われたという。大賞金のレースを行い、馬産地を活気づけてほしい――すなわち。

「日本にダービーを持ってきてくれ」

 1932年、その後の安田の尽力により、生産者たちの思いが叶えられることになった。第一回日本ダービー「東京優駿大競走」である。一着賞金の一万円は、現在でいう一億円ほどの価値があった。「広く天下の優駿を求む」という趣意書のとおり、第1回出馬登録には全国から168頭ほどが集まったという。

 舞台は目黒競馬場の2400m。目黒競馬場は一周およそ1マイル。平坦コースの右回りであった。本場イギリス・エプソムダービーと同じ、左回りで坂のある東京コースで行われるようになったのは1934年からである。

 ダービー当日の4月24日はあいにくの雨模様となり、芝は泥濘のような

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