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青森紀行(1)〜レギュラーメンバー、メジロベイリー、ウイングアローを訪ねて【動画有り】

  • 2014年08月19日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲青森紀行第1弾、山内牧場&東北牧場を訪ねて


2013年種牡馬引退、山内牧場で過ごすレギュラーメンバー


 馬産地として歩み出したのが平安初期と言われるほど、青森県の馬産の歴史は古い。その昔、この地方で生産された馬たちは、農耕や運搬、軍用など多方面に活用されてきた。その流れもあるのか、軽種馬においても日本有数の馬産地となり、多くの優駿を輩出してきた。今も馬産は続けられており、8月5日には八戸市場も開催された。さらに競馬場でファンの喝采を浴びてきた名馬たちが、第二、第三の馬生を送っている土地でもある。その青森県に引退馬たちの取材に訪れたのは8月初旬だった。

 JR八戸駅から車で約20分くらいのところに山内牧場があった。牧場の放牧地にはサラブレッドの親子2組が草を食んでいる。目を左奥に転じると、小高くなった場所に放牧地があった。牧柵から顔を出し、いまどきの言葉で「ガン見している」という表現がピッタリの風情で、こちらをジーッと見ている黒っぽい馬がいた。主のような貫禄ある様子から、すぐにレギュラーメンバー(牡)だとわかった。

第二のストーリー

 父コマンダーインチーフ、母シスターソノという血統のレギュラーメンバーは、1997年6月16日に新冠町の高瀬牧場に生を受ける。母のシスターソノは、あの名牝ロジータの1番仔にあたり、シスターソノ自身も、新馬、もちの木賞とデビューから2連勝して、阪神3歳牝馬S(GI・現阪神ジュベナイルフィリーズ)では1番人気に押されるほど期待された馬だった。

 レギューラメンバー自身も2000年のダービーグランプリや、2001年の川崎記念、JBCクラシックと交流GIに優勝し、ドバイワールドC(GI・9着)にも参戦するなど、ダート中距離路線を中心に活躍をした。2004年春シーズンから北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬となり、2008年12月に山内牧場に移動した。

 新冠時代の産駒たちは地方競馬中心に活躍し、サイレントスタメン(2009年・東京ダービー)やダイナマイトボディ(2009年・東海ダービー)など、地方競馬で重賞ウィナーを数多く送り出している。だが2011年からは種付けの実績がなく、7世代の産駒を残して昨年で種牡馬を引退。功労馬として助成金を受けるようになっていた。


「腰を悪くしてね。腰が悪いと危険だから」山内牧場のスタッフ・高田勝己さんは種牡馬を引退した理由を教えてくれた。種付け作業に腰から後ろ脚にかけての踏ん張りが重要になる。腰が悪くては踏ん張りがきかず、事故につながりかねないという判断なのだろう。今年で17歳。まだ活躍馬を出しても不思議ではないだけに、残念でもあるが、体を案じての決断には、牧場サイドの馬への愛情を感じた。

 朝から夕方まで放牧地で過ごす。これがレギュラーメンバーの日課だ。彼が顔を出し続ける牧柵の反対側で高田さんとしばし会話をしていたのだが、最初ガン見していたわりには場所を移動後はこちらにはまるで興味を示さず、お尻を向けたまま同じ位置に立ち続けている。この日の青森は最高気温が34度とかなりの猛暑なのに、太陽の日射しが照りつける場所になぜ彼は立ち続けているのか。顔から噴き出る汗をぬぐいながら、高田さんに質問してみた。

「風の通りが1番良いんじゃない? 馬が自分で知っているんだね」。心地良い場所で、日がな一日を過ごす。考えてみれば当たり前のことだが、高田さんの説明に妙に感心してしまった。

 同じ場所から動かなかったレギュラーメンバーが、ゆっくりとした動作で体の向きを変えた。張りのある立派な馬体だ。砂地の匂いを嗅ぎ、前脚で砂をかく。おもむろに前脚を折って膝をつき、顔から首へと地面に滑らせたかと思うと、砂地に4度、5度と体を擦り付ける。砂浴びだ。終わると脚を踏ん張って立ち上がり、再び定位置に戻った。

「ああ、元気は良いですよ。でもそんなにうるさくないよ、種馬をやっていたにしてはね」高田さんは、砂浴びをするレギュラーメンバーを眺めながら言った。再びレギュラーメンバーの近くに陣取って取材を続けていると、高田さんはつぶやいた。「でもやっぱり、人を見ているからね。種馬やっていた馬って人をちゃんと見てるから」。どうりでこちらに興味を示さないわけだ。最初のあのガン見で、すでに私は彼にとって取るに足らない存在と品定めされていたようだ。

「毎日接していると大丈夫だけど、人によっては警戒したりね。いきなり来て、馬に手を伸ばしたりはしない方がいいよ。それは他の牧場でも同じ。種馬に手を伸ばすのは、まず危険だから」。レギュラーメンバーは、そこでかすかに頷いた。「ちゃんと人の話聞いているんだよ。大人だからね」

第二のストーリー

 レギュラーメンバーに敬意をもって接している…「大人だから」という高田さんの一言から、それを感じ取ることができた。無言でこちらの会話に耳を傾けているレギュラーメンバーも、高田さんに敬意を払っている様子が窺え、つかず離れずの、それこそ大人の関係が築かれているのだと思った。

 レギュラーメンバーの定位置の近くに立つと、確かに風の通り道になっていた。時折、体につくアブを尻尾で素早く追い払いながら、心地良い場所で悠々自適の日々を送るレギュラーメンバー。その小高い場所から見送る視線を背中に感じながら、山内牧場を後にした。

メジロベイリー、種牡馬生活10年目に突入


第二のストーリー

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▲ポニーの親子、母・みつばとよつば


 メジロベイリー(牡)とウイングアロー(牡)が種牡馬として繋養されているのが、上北郡東北町にあるフォレブルーだ。この町は柴田善臣騎手の出身地でもあり、八戸市内から車で1時間弱ほどの位置にある。

 入り口には東北牧場という看板が立っているが、聞けばオーナー・ブリーダーとしてサラブレッドの生産・育成を手掛ける有限会社フォレブルーと、有機農法で野菜等を栽培と販売を行っている有限会社身土不二から成っているという。フォレブルーは、実に美しかった。育成コースがある広大な敷地は手入れが行き届き、案内された厩舎内も清潔に保たれている。

 まずはメジロベイリーの馬房の扉が開けられた。半兄に天皇賞(春)馬・メジロブライトがおり、朝日杯3歳S(GI・現朝日杯フューチュリティステークス)に優勝して3歳チャンピオン(旧馬齢表記)の座についた同馬は、今年16歳。種牡馬になって10年目の夏を迎えた。早速持参した人参を差し出してみる。喜んでかぶりつくのだが、うまく噛めずにボロボロと落とす。少々食べ方が下手なようだ。


 諏訪牧場で種牡馬入りをしたのが競走馬を引退してすぐの2005年。2009年から4シーズンを北海道のビッグレッドファームで過ごしたのちに、フォレブルーでの繋養が決まり、2012年10月に再び青森の地を踏んだ。

「種馬としては大人しい方だと思います。まだ種馬になりたての若い頃は諏訪牧場(青森)にいたのですが、そこでは手がつけられないくらいうるさかったと聞いていましたし、実際にウチの牧場の牝馬を連れて種付けに行った時にもその様子を目にしていたので、少し心配でした。でもウチに来てからはさほどうるさくなく、曳いて歩いても大人しいですよ。年齢を重ねたというのもあると思いますけどね」とスタッフの長濱隆史さん。それでも種付け時は、事故が起きないように細心の注意を払っているという。

「牝馬に興味を示すのは仕事の時だけですね」と長浜さんが言うように、普段は女の子に対しては結構ドライで、オンとオフの使い分けできるタイプでもあるようだ。「頭は良いと思いますよ。ちょっとバタバタしても、怒るとシュンと大人しくなりますしね(笑)。種付けの間隔が少し詰まると体が減ってしまうのですが、ご飯をちょっと増やすとすぐに肉がついてきて、そういう部分はわかりやすいですね」(長濱さん)

 怒られると大人しくなり、仕事がハードになると体に表れる。賢くて素直な馬、そんな印象を持った。人参の食べ方が下手というのは、ご愛嬌だ。

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 サンデーサイレンスの直仔ということもあり、種牡馬としての期待も大きい。「今いる当歳がウチで種付けをした最初の産駒ですが、体がしっかりしていて動きは良いですし、みな利発そうです」(長濱さん)。今年フォレブルーでは、4頭の仔馬が生まれた。ベイリーの血を引く子供たちがデビューする日を楽しみに待ちたい。そして2004年に10歳の若さで亡くなった兄・メジロブライトの分も、種牡馬として元気に頑張ってほしいものだ。

ダート王ウイングアローの血を後世に


 続いてウイングアローの馬房の扉が開けられた。待ってましたとばかりに、ピョコッと顔を出してくる。「手のかからない馬ですね。ベイリーよりアローの方が大人しくて、人懐っこいです。種馬はうるさいものだと聞かされていたので、ウチに来た時には拍子抜けしました」(長浜さん)


 人参を差し出すと、こちらはボロボロ落とすことなく上手に食べ終え、満足そうな表情をした。人参がもらえないとわかると、人間に背を向け外の景色を眺めていたマイペースなメジロベイリーとは対照的に、顔も子供っぽくて、鼻面をこちらに伸ばしたり、前掻きをして人参をおねだりする仕草がまた愛らしく、とても19歳には思えないほど。

「ブラッシングをしていても、ベタベタとくっついてきますし、甘えますね」と長浜さんも満更でもない様子。「放牧地に水溜りがあると、脚でバシャバシャと音を立てて遊んでいます(笑)」(長濱さん)。水溜りに驚く馬も少なくないのに、アローは好奇心も旺盛な馬だ。

 現役時代はフェブラリーS(GI・2000年)、ジャパンカップダート(GI・2000年)を含めてダート路線で重賞8勝を挙げ、1998年と2000年の最優秀ダートホースに選ばれるなど、一時代を築いた。2002年に静内スタリオンステーションで種牡馬入りし、のちにアロースタッドに移動するが、これといった活躍馬を出せないまま2007年シーズンの種付け終了後にシンジケートが解散。フォレブルーに移動してきた。

「ウイングアローの娘のサイレントエクセル(2006年・GI・ダービーグランプリ3着)が岩手競馬で活躍しているのを実際に見ていましたし、ウチは岩手で走らせるので、アローは合うかもしれないと思いまいした」という長濱さんの期待に応え、岩手競馬のオープン馬・トーホクアロー(牡5)を輩出。2歳は5頭すべてが岩手競馬でデビューして、コンチバンブラン(牡)とトーホクフェアリー(牝)の2頭が既に勝ち上がるなど順調な滑り出しだ。(8月19日現在)

「今年は父アグネスタキオンの牝馬のピースチェイサーに種付けをしました。その1頭しか種付けをしていませんが、期待の繁殖ですから楽しみですね」と、長浜さんは顔をほころばせた

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 現役時代からファンの多い馬ではあったが「いまだに誕生日にお花を贈ってくれる方がいますよ」(長浜さん)という話を聞き、ウイングアローがいかにファンに愛される存在なのかを改めて感じた。そのウイングアローも、今年の種付けが最後になる可能性があるそうだ。ピースチェイサーとの仔が無事に生まれきて、ダート王だった父の名を再認識させてくれるような競走馬になってほしいと願わずにはいられない。

 ウイングアローの馬房の扉が閉じられ、フォレブルーでの時間も終わりに近づいてきた。隣同士の馬房で暮らす2頭だが「片方が暴れても、もう一方は我関せずですね」と長濱さん。その関係性がまたおもしろい。互いを認め合い、種牡馬としてのプライドを持ちながら、適度な距離感を保っているのだろうなと別れ際に想像した。

 マイペースなメジロベイリー、人懐っこくて愛嬌たっぷりのウイングアロー、そして終始穏やかに2頭のエピソード話をしてくれた長濱さんのおかげで、取材でありながら癒しのひとときを過ごし、満ち足りた気分でフォレブルーを後にした。

(取材・文・写真:佐々木祥恵)

■赤見千尋さんのコラム「競馬の職人」でも、八戸市場や青森の牧場のレポートを公開中です。併せてお楽しみください!
→記事はこちら


※レギュラーメンバーは、現在、見学不可となっております。
(競走馬ふるさと案内所のHPでご確認ください)

※メジロベイリーとウイングアローは見学可です。
競走馬ふるさと案内所か、東北牧場(電話0176−62−2441)に直接申し込んでください。
なお見学は2日前までに連絡してください。

東北牧場(フォレブルー)の公式HP
http://www.tohoku-bokujo.co.jp/
(ブログやfacebookもあります)

競走馬ふるさと案内所 東北連絡センター
電話:0178−51−8765
FAX:0178−84−2829
(9:00〜17:00、休館日は日曜・祝日・8月中旬の4日間・年末年始)
http://uma-furusato.com/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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