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大野拓弥騎手(4)『英才教育が成功!?“大野騎手”誕生のルーツとは』

  • 2014年11月24日(月) 12時00分
おじゃ馬します!

▲今週が大野騎手のインタビュー最終回!これまでの騎手人生を振り返ります


今週が大野騎手のインタビューの最終回。今年28歳になり、GIジョッキーにもなった大野騎手。ジョッキーとして充実期を迎え、馬券ファンの信頼も増すばかり。そんな大野騎手が騎手を目指した理由はなんだったのでしょうか。幼少期のお話から、騎手になってからの苦労時代など、大野騎手のヒストリーに迫ります。(第3回のつづき、取材:赤見千尋)

子供の頃から好きなレースは有馬記念でした


赤見 大野騎手が騎乗で意識しているジョッキーっていますか? もうすぐWSJSもあって、海外からもトップジョッキーが来ますが?

大野 海外のジョッキーの騎乗が見られるのは、いい刺激になりますよね。12月にスノードラゴンで香港に行かせてもらいますが、そういうところでもチャレンジして行こうと思ったらなおさら。外国人騎手だと、ルメール騎手の騎乗をよく見ています。日本人だったらノリさんですね。

赤見 ノリさんは昔から憧れているって。

大野 そうなんです。言葉ではなかなか表現しづらいんですけど、ノリさんの馬との付き合い方がすごいなと。スムーズですよね。他にもいろんな面で尊敬しています。

赤見 ノリさんの騎乗論って難しいですけど、やっぱりすごいですよね。

大野 普段からよく話もしてもらうので、教えてもらうこともあるんですけど、本当にすごいです。

赤見 同じジョッキーからそう思われるって、すごいことですよね。ちょっと話が飛びますが、大野騎手は埼玉県越谷市のご出身ということで、なぜ騎手を目指したんですか?

大野 親父が競馬好きなんです。親父もジョッキーになりたかったみたいなんですけど、なれなかったので、それを子どもに託したという。そういうこともあって、競馬は小さい頃からずっと見てましたね。

赤見 英才教育してたんですか?

大野 まぁ、そう仕向けてたんでしょうね(笑)。

赤見 素直にお育ちになりましたね(笑)。

大野 本当ですよね。小学校6年生ぐらいから乗馬を始めたんですけど、そこから自分でもハマってしまって。

赤見 じゃあ、騎手デビューして、お父さんはすごい喜ばれたでしょうね。単勝万馬券なんて出したら、お父さん全部当たっちゃうんじゃないですか。

大野 どうなんですかね? 僕の馬券は結構買ってくれているみたいなので。まぁその分、やられているとも思うんですけど。

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▲「親父は僕の馬券を結構買ってくれているみたいですけど、その分やられているとも思います」


赤見 ご自身のお子さんにも騎手になってほしいという気持ちはあるんですか? スプリンターズSを間近で見て「お父さん、かっこいい」って言われたんじゃないですか?

大野 いや、言われなかったです。4歳と2歳で男の子なんですけど、まぁ覚えてないでしょうね。特に騎手になってほしいということはないですよ。僕はそんな押し付けがましくないので(笑)。自分からなりたいって言われたら考えますけど、厳しいと思いますからね。騎手になるようにしていくのもですし、なってからもですし。

赤見 厳しい世界なのは、身にしみてわかっているから。大野騎手ご自身が、騎手を目指す上で何か難しかったことってありますか?

大野 競馬学校時代は全寮制で、慣れるまでは大変でしたけどね。ホームシックは全然なかったですけど、環境がガラッと変わったので、慣れるまでは嫌でしたね。

赤見 嫌ですよね。しかも自由とかもあんまりないですし。ヤンチャしたりしなかったですか? 抜け出してコンビニに行ったり?

大野 してないです。僕は真面目なので。そういう期があったって聞いたことはありますけど、多分僕らの期はあんまそういうことをする人はいなかったですね。みんな真面目でした。

赤見 本当ですか(笑)? じゃあジョッキーになるまでは、大きな挫折みたいなのは?

大野 デビューするまではなかったですね。ただ、デビューでいきなり躓きました。デビュー戦で落馬したんです。いきなり躓いちゃいました。人馬共に…(苦笑)。まぁまぁ、それはその時だけで終わったことなので、それからは順調にいけたと思います。

赤見 所属が杉浦宏昭厩舎。厩舎のGI馬のテレグノシスにも乗せてもらっていたり、先生の期待を感じますが。怒られることもありました?

大野 よく怒られましたよ。怒られたイメージしかないくらい。騎乗のこともですし、日常でのこともありますし。所属ジョッキーとしてするべきこととか心構えとか、そういうことをよく注意されました。でも、そういうことを教えてもらえる期間って短いですから、厳しくしてもらってよかったという思いもありますけどね。

赤見 デビュー4年目にフリーに。所属とフリーとでは、環境が変わってきますよね。

大野 そうですね。減量が取れて、毎年若手がどんどん入ってきて。ちょうどその頃フリーになって、自分1人でやって行かないといけない環境になって。成績も振るわなくなって、結果が出ない時期もありました。その期間は長かったですね。

赤見 そういう時、辞めたいなと思ったり?

大野 いや、辞めたいなとは思わなかったです。そういう状況にあったら、いかに自分を見てもらえるかっていうことが大事ですよね。成績が出なかったら騎乗馬の質も落ちるわけで、そういう人気のない馬をいかに持ってくるか。常にそれを考えて乗っていました。

赤見 人気のない馬で一発って、本当に賭けじゃないですか。惨敗する可能性もあるわけで。その辺りのリスクはどう考えていたんですか?

大野 いや、人気がないからリスクもないですよね。それで勝てなかったとしても、怒られることはないですから。それだったらもう、一発狙っていくっていう考え方ですね。そういう騎乗を続けていたことで、7年もかかりましたが、重賞も勝つことができたんじゃないかなと思っています。

赤見 その姿勢が報われたんですね。さらに今年GIも勝ったっていうと、また自信になりますね。最後に今後の目標を教えてください。

大野 はい。どのレース勝ちたいと言ったら、ダービーはもちろんなんですけど、僕は有馬記念ですね。1年の最後で、年末のグランプリで、盛り上がりもすごいですし。昔から特に注目して見ていたレースでもありますので。

赤見 有馬記念に注目してたんですか。大野騎手が子供の頃って、どの馬辺りを見てたんですか? オグリキャップは…、ちょっと古いですよね?

大野 さすがに(苦笑)。僕が見ていたのはサクラローレルとか、そこら辺ですね。特に印象深いレースです。

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▲大野騎手の思い出のレース、サクラローレルの有馬記念(1996年)


赤見 じゃあ、有馬記念とダービーとぜひ勝って、避けずにまたインタビューに答えてくださいね。

大野 はい。あの、こういうじっくり話すインタビューは大丈夫です。テレビとかが苦手で(笑)。

赤見 でも、スプリンターズSのインタビューも、いい笑顔で良かったです! ぜひ、無事に香港に行って来てください。

大野 はい。頑張ってきます。(了)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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