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誰でも譲れない一線

  • 2014年12月04日(木) 12時00分


エピファネイアのジャパンC圧勝に思う

 ときには妥協もできる柔軟性をもとめられることは多い。それは確かに必要だ。だが人には誰でも譲れない一線というものがある。それだけは絶対に守り通す。この頑固さ、生きていくための大切な姿勢ではないか。自分の持っている原理、原則を簡単に曲げて相手に迎合する人間に、立派な指導者はいないと孟子は言っている。この「自分を曲げすぎると戻らない」という言葉を思い起こさせたエピファネイアのジャパンカップの勝利だった。

 菊花賞を5馬身差で圧勝した力は並ではない。その激しい気性に乗る者は手こずりその有り余るパワーをどう引き出すか、エピファネイアにとっては、どの場面でも自分自身との戦いが全てだった。パドックを周回するうちに徐々にエキサイトしていく様子がうかがえ、初めて手綱を取るクリストフ・スミヨン騎手も気が気ではなかったろう。見る者には、道中、懸命に手綱を引っ張る姿に少なからず不安もあった。常に折り合い難がつきまとうパートナーをどう導いていくのか。その気性をコントロールするためにと、この中間はプールを併用してテンションを上げないようにと調整したり、乗り手の操作がスムーズにいくようにとフォームを改善、ハミの取らせ方に工夫を加えたりと努力はされていた。そのスタッフの知恵が実るか実らないか、その全てがスミヨン騎手の手綱にかかっている。絶対に手を緩めない鞍上、ガシッと固めて押え込む姿に、これだけは譲れない一線なのだという強い意志を感じた。

「自分を曲げすぎると戻らない」、これしかないのだと。だが一方で、エピファネイアの前向き過ぎる気性こそ、パワーの源なのだと、まるで自身が鞍上を諭しているようにも見えた。前向き過ぎる気性は、必らずしもネックではない。こっちにも「自分を曲げすぎると戻らない」があると、馬の立場になればそういうことにもなるのかもしれない。かつて武蔵野ステークスに続いて、ジャパンCダートもレコード勝ちしたクロフネも、自己主張をしっかりした名馬だった。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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