スマートフォン版へ

馬たちのお願い ―あなたにとってわたしが たいせつでなくなるとき【動画有り】

  • 2015年01月13日(火) 18時01分
(つづき)

第二のストーリー

ナリタタイシンの兄“ご神馬”ポルカ


 昨年12月15日、エスケープハッチがやって来たつばさ乗馬苑は、決して大きい施設ではない。けれどもここは、人や馬が次々と集まってくる不思議な場所だ。いつ行っても事務所には馬好きが集って馬談義に花を咲かせ、馬房掃除や餌やりなど、楽しげに仕事を手伝っている人たちが必ずいる。乗馬苑の脇には、透明度の高い小さい川が流れており、そこには小魚や鴨が泳ぎ、養殖場から逃げてきたのか、スッポンまで棲息している。

「スッポンが、馬場にやって来て卵を産んでいくんですよ。それがまた可愛いんですよね」とつばさ乗馬苑代表、土谷麻紀さんは笑顔を見せる。ウミガメが砂浜に上がってきて卵を産むというシーンはテレビでよく目にするが、スッポンもウミガメと同じように砂地に卵を産みに来るのだと、妙なところで感心してしまった。馬場にそのまま卵を置いておくわけにもいかないため、土谷さんは部屋に卵を持って来て、見事にかえした。そのすっぽんは、ただいま冬眠真っ只中。眠りから覚めるのが待ち遠しい。

 土谷さんはかつて、埼玉県東松山市の上岡馬頭観音内にあった馬頭観音牧場で馬の管理をしていた。牧場の社長が亡くなって馬頭観音牧場も閉鎖となり、現在の場所でつばさ乗馬苑を始めたのが2005年の2月だった。上岡馬頭観音のご神馬をしていた芦毛のポルカ、ポニーのメッシャーやフロンテを初め、サラブレッドのC.J(競走馬名ムツノシービー、父ミスターシービ)などもつばさへとやって来た。

 ご神馬のポルカは、かつてはドーバーシチーという名前で、中央競馬で走っていた元競走馬だ。父がニチドウアラシで、母はタイシンリリイなのだが、母の名前を見てピンと来る方もおられるだろう。そう、タイシンリリイは、1993年の皐月賞馬・ナリタタイシンや1992年の阪神牝馬特別優勝のユーセイフェアリーを輩出している名牝なのだ。つまりポルカは、ユーセイフェアリーの弟であり、ナリタタイシンの兄にあたる。

第二のストーリー

▲ナリタタイシンの兄 ご神馬のポルカ


 栗東の大沢真厩舎所属し、1991年2月2日にデビューした同馬は、準オープンで走っていた時期もあったが、1993年1月30日の障害未勝利(3着)を最後に競走馬生活にピリオドを打つ。生涯成績は20戦3勝だった。

 乗馬クラブで調教された後に、ご神馬として馬頭観音牧場にやって来たポルカだが、当初は難しい気性の馬だった。「私が初めて馬頭観音牧場に行った時に、ポルカに噛みつかれました。前を通っただけでガッと来て、肉を食いちぎられるかと思いました。真っ青になって歯型がつきました(笑)」(土谷さん)

 電柱の影に驚いたり、ご神馬小屋にかかっている垂れ幕を気にして中に入れなかったり、1頭でいるとグルグル回って汗びっしょりかいていたポルカを、土谷さんがご神馬として一から馴致をし直した。

「元々馬場馬術の調教がよく入っていて、踏歩変換も完璧にできますし、きれいに屈頭してスペイン乗馬学校の馬みたいなんです。でも障害は飛べないんですよ。だから競走馬時代に障害レースに出ていたのは信じられないですね(笑)。目をつぶって飛んでたのかなって思ったりもします(笑)」

 そんなポルカも年が明けて27歳になり、「ポルちゃん」とか「ポルじい」と呼ばれてはいる。けれどもまだまだ元気一杯。出会った当初の神経質で難しい気性の方もすっかり落ち着いて「馬頭観音の御祭りでも、自分から頭下げてますよ(笑)。手順も全部わかっていますし、あれほど扱いやすい馬はないですね」と土谷さんに言わしめるまでになった。

 来る2月19日に開催予定の上岡馬頭観音の例大祭でも、ポルカはご神馬とし立派な立ち振る舞いをすることだろう。

第二のストーリー

▲馬のマッサージも行っているつばさ乗馬苑(マッサージ師の佐山由紀子さんにケアしてもらうラカンパネラ)


 土谷さんの愛馬・春風は、船橋競馬や大井競馬に所属し、ヒガシノサンサンという名前で走っていた。父にローマンプリンスを持つ同馬は、20戦8勝という成績を収め、1997年の交流GI・ダービーグランプリ(7着)にも出走経験がある南関東の活躍馬だった。

「背が高い馬でしたので、うまくまとまれば綺麗かなと思って、友人と2人で乗馬として購入しました。左前脚に屈腱炎があり、それを治すところから始めたのですが、脚が良くなって乗り始めたら頑固なところがあって、他の馬はみんな首が下がっているのに、この馬だけはどうしても下がらなくて…。それに強い馬だったので、駈歩をさせると競馬のように本気で走ってしまい、ゆっくりの駈歩ができないんです。春風ほど調教に手こずった馬はいないですね」(土谷さん)

 春風とともに競技会に出場する夢もあった土谷さんだが、調教を進めるうちに考えが変わっていった。

「目指すは練習馬だなと思いました。誰が乗っても言うことをきいて、落とさなくて、ゆったり乗れる、それができない限りは競技もできないと思いました。だから春ちゃんにも、もう競技会は出なくていいからって伝えました。さっきも言ったように調教が難しい馬でしたから、いまだにできないこともたくさんありますけど、私は春風に調教の仕方を教わったと言ってもよいくらいです。春ちゃんがいたからこそ、他の馬の調教が楽に感じるほどです」

 長年苦楽を共にしてきた春風も、今年で21歳となった。「競走馬から上がってきたばかりの頃から腰が甘くて、最近では後ろ脚の飛節がガクンと崩れることがあるんですよね。そろそろ乗馬を引退させようかなと考えています」(土谷さん)

第二のストーリー

▲土谷さんの愛馬・春風 交流GIにも出走経験がある南関東の活躍馬


「命をあきらめたくない」


 乗馬としての役割を終えても、ここつばさ乗馬苑ではよそに出される馬はいないに等しい。馬場を見渡せる馬房で暮らす春風も、日々外を眺め、馬場に放たれれば、弟分のスカイブルーを従えて遊び、人が来れば人参をおねだりして、マイペースに年を重ねていくはずだ。

 毎週、最前線で頑張る馬たちの取材をトレセンで続けていると、調教中に故障をする馬を目にしたり、トレセンを去っていく馬を見送ったり、レース中の事故で命を落とした馬の馬房に作られた祭壇に手を合わせるという経験を時折することになる。何度も書いているが、競走馬はいつも命を賭けて人間のために走り、無事引退したとしても、未来は必ずしも明るいものではない。そんな現実に打ちひしがれそうになった時に、ふと訪ねたくなるのがつばさ乗馬苑なのだ。

 昨年の春先につばさを訪ねた時には、後ろ脚がおぼつかなくなって痩せ細り、寝ると立ち上がれなくなっていた推定30歳の雅(みやび)という牝の木曽馬が、その年の初秋に久々につはさを訪れてみると、しっかりと4本脚で立ち、シャキシャキ歩いていたのには、衝撃を受けるとともに、感動した。雅がいつ倒れても起こしに行けるように、土谷さんは雅の馬房のそばに車をつけて、常に車中泊をし、あらゆる治療を試みた結果が現在の元気な雅なのだ。

第二のストーリー

▲手前が雅、ラブラドールのハッピー、一番奥がエスケープハッチ


「命をあきらめたくない」と土谷さんは言う。なぜ? と問うと「助けられなかった馬がいたからかな」とポツリとつぶやいた。その時、土谷さんの頬に涙が一筋つたった。

 数年前、疝痛でアングロアラブのファンタジアチェリーと、アメリカ生まれで地方競馬出身のブラックマックスを立て続けに亡くした時に「もっと何かしてあげられたのではないか」という悔いが残ったという。

 そんな時に土谷さんが出会ったのが「うまの おいのり」(まつむらまさこ 絵と文/至光社)という絵本だった。以前、渡辺牧場を紹介した時にも「馬の祈り」を引用したが、それを簡潔にわかりやすく描いたのがこの絵本だ。一文、一文が2頭の馬を一度に失った土谷さんの心に沁み渡り、涙が溢れた。「うまのおいのり」を何十冊と購入して、知り合いに配った。そのうちの1冊が、私の手元にもある。

『わたしに たべものとのみものをください』で始まるこの絵本は、新しく飼い主になった人への、馬からのお願いが綴られており、心に突き刺さる文章が何か所かある。その中で1番深く胸に突き刺さったのが

『それでもいつか あなたにとってわたしが たいせつでなくなるときがくるのでしょうか? そんなときがきても わたしをだれかにあげたりはしないでください わたしのいちばんのおねがいは さいごまであなたのともだちでいることです』という部分だった。

 所有者が何度も変わり、居場所を転々とするうちに姿を消していく競走馬や乗用馬たちのことを考えると、苦しい気持ちになった。「うまのおいのり」は、馬の気持ちを無視しがちな競馬や乗馬の世界、そして人間たちに警告を発しているのではないかとさえ思う。

 1月12日に再びつばさ乗馬苑を訪ねると、エスケープハッチは9歳のクラッチシューターと馬場に放牧されていた。クラッチシューターは、中央、大井、道営で走って54戦7勝という成績を残している。大井競馬時代の調教師に是非つばさに置いてほしいと託されて、一昨年やって来た。仕事が休みのたびに、長年つばさで手伝いをしているSさんは「今はシューターがハッチの臨時のお友達ですね」と教えてくれた。

 ハッチとシューターは互いに顔を寄せ合って、挨拶のような仕草を何度かするが、すぐに2頭は離れる。すぐに人のいる入口にやって来るハッチは、土谷さんに「走っておいで」と促されて少しは駈歩をするものの、すぐにまた入口付近に近づいてくる。ハッチは本当に人間が好きらしい。

第二のストーリー

▲顔を寄せ合うエスケープハッチ(左)とクラッチシューター(右)


 前回取材に訪れた時には、まだ単独での放牧だったハッチだが「シューターとの放牧に馴らしてから、複数頭のグループで放牧しようかなと思っています」(土谷さん)と、段階を踏んでのグループ入りが予定されている。観察する限り、ハッチもシューターも平和主義者なのか、喧嘩をすることもなく、付かず離れず馬場の中でそれぞれの時間を思い思いに過ごしていた。

 放牧時間を終えて馬房に戻ったハッチは、顔をこちらに伸ばしてきて、お得意の甘えん坊の表情をしてくれた。「歯を見せて」と何げなく言ったら、歯を見せてくれた時にはさすがに驚いた。こちらが思っている以上に、馬たちは人間の言葉を理解している。感情豊かな馬たちを人間の道具のように扱ってはいけないと、ハッチと向き合って改めて思った。そして「うまのおいのり」の言葉を、今一度、胸に刻んだのだった。(了)


(取材・文・写真:佐々木祥恵)

※エスケープハッチは見学可です。なるべく事前連絡をしてご訪問ください。

つばさ乗馬苑
埼玉県日高市大谷沢681-1
電話 042-984-3410
つばさ乗馬苑HP
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tsubasa-rc/tsubasa_cheng_ma_yuan/Welcome.html

エスケープハッチの会HP
http://www.intaiba.net/escapehatch/

エスケープハッチの会ブログ
http://blog.goo.ne.jp/escapehatch

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング